裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

木曜日

(無題)

朝7時起床。ミクシィ日記を書いていたら、途中で全部消える。意地の悪いことに、消えるときというのは必ず、長文を書いてさてそろそろ終わり、というあたりで消える。手元に拳銃とかがあったら頭をぶち抜く人が続出するんじゃないか。

朝食、8時。それから急いでフジ広告大賞のトリビア案(以前出したもので諸般の事情でボツになったものがあったので代案)。書き上げたものを母の部屋のFAXで送信して、母と出る。

地下鉄乗り継いで東銀座、歌舞伎座。中村勘三郎襲名披露興行初日。快楽亭が待っていて一緒に中に入る。さすが初日だけあって浅草芸者衆の総見などもあり、華やかな雰囲気。二階席に陣取る。

『猿若江戸の初櫓』で長男の勘太郎が見事な猿若舞を見せ、次の『俊寛』ではご祝儀で客演する幸四郎が貫禄を見せる。

「なんでこんな辛気くさい芝居をめでたい襲名披露のときにやるんですかね」
と快楽亭に訊いたら、
「いや、そこはやはり客演ですから、主役の勘三郎より派手な役をやってはいけないということでしょう」と。

そこで前半終了となり、地下食堂で予約しておいた井泉のフライ弁当を三人で食べる。襲名記念弁当というのもあったが3500円は馬鹿馬鹿しい。予約係が“シュウベン、シュウベン”と略称していたのが可笑しい。そこから急に場内が混み出すのは、披露口上のみ見ようという招待客が増えるから。すらりと背の高い美人がいるなと思ったら藤原紀香。和服は似合わないが(母曰く“自分で着てないで着付けてもらうから”と)やはりオーラあり。しかし常に口を半開きにしている顔を固定して歩いている(それが外部露出の基本の顔、と事務所に言われているのだろうか、それとも単なる蓄膿か)のも奇妙なものだ。他に田中麗奈、深田恭子の姿もあり、さすが華やか。伊藤秀明もいた。初日はこういう客席見物もまた結構。

客席にもどると笑福亭鶴瓶、それからなんと談志家元の姿もあり。快楽亭が
「イケネエ、後で来ていたのに挨拶しなかったとなるとナニ言われるかわからないから」
とすっ飛んでいき、酒の紙袋を下げて帰ってくる。
「“これ、貰ったが重いから、オメエどこかにやってこい”と押しつけられちゃった」と。

口上、富十郎又五郎秀太郎福助東蔵玉三郎仁左衛門勘太郎芝翫幸四郎我当魁春扇雀段四郎左團次梅玉雀右衛門と並んだところはさすが壮観だが、新之助の海老蔵のような、名だたる不良少年の襲名ではないので、みんながみんな“十七代目のおじさんにはお世話になって”というような賛辞ばかり、あまり面白くはない。中で際だっていたのはやはり左團次、
「先代さんに初めて会ったときから、“嫌な爺いだ”と思っておりまして、以心伝心、向こうも“生意気なガキだ”とこちらを思ったらしく、いじめられておりましたが、どういう風の吹き回しか、途中から認められ、分不相応な大役をどんどん与えて頂きまして、現在こうして歌舞伎役者を続けておられますのも、ひとえに中村屋さんのおかげと思っております」こうこなくちゃいけない。七之助のことも出るかと思っていたが、玉三郎他一人二人の口上の中に“勘太郎、七之助ともども……”と出たばかり。快楽亭情報では、警察から新勘三郎のもとへ
「坊ちゃんとは知らずに大ごとにしてしまいまして……」
と菓子折持ってあやまりに来たとか。歌舞伎役者は政治家とつながりがあるからな。
談志、鶴瓶などは口上だけで帰ったが、紀香、麗奈などは最後まで観ていたのは感心。で、勘三郎が演じる『一條大蔵卿』。これもタアイない話だが、うつけを装う演技と、その縁起をかなぐり捨てて本心をあかすあたりの使い分けはまさに中村屋のお家芸。

バカ公家演技は以前大河ドラマ『武田信玄』の今川義元役であまりのうまさに仰天したことがあった(信玄の下品な冗談に笑い転げながらも、政治向きの話になると途端に真顔にもどり、その後、また思い出し笑いに笑い転げる)が、が、こういう芝居がお家芸ならうまいに決まっている。終わって出るときも、山川静夫、野田秀樹などの顔が見える。紀香のデカいことにも驚いたが野田秀樹の小柄なことにも改めて驚く。
母と地下鉄で途中まで行き、新宿三丁目で別れて、初台まで都営線で。今日はこれから新国立劇場でオペラ『魔笛』と、観劇二連チャン。都営新宿線で初台へ。バス通勤でここの脇は毎度通っているのだが足を踏み入れるのは初めて、新国立劇場。最初間違えてオペラシティに入ってあまりのその広さにしばし目眩を起こし迷う。都見物左衛門である。

なんとかたどりつき、ポスターあることも確かめて中に入る。衣装デザイン担当の加藤礼次郎から“ゲネ、見にこない?”と、誘われたのであるが、小学館の編集者さんと立ち話していたら礼ちゃんのお兄さんに会った。入ってみると、ここも隣のオペラシティに比べれば狭いと文句垂れられているがそれでも充分に広く、迷路みたいな作りになっている。2階席ならどこへでもと受付で言われたので、行き当たりバッタリにボックス席みたいになっているあたりに入ると、偶然開田夫妻がいた。やはり似たような思考回路で似たような席を選んだのであろう。

高さと奥行きは凄いものがあるがこの劇場、舞台の幅が狭いような気がする。隣のオペラシティに食われたか。今回の『魔笛』、台詞は日本語、歌はドイツ語で原典のまま、という趣向。台詞はかなりギャグを入れたりしていたが、歌詞は翻訳字幕も妙に古典的で、少しそこに違和感が(そういう意図なのかも知れないが)あった。

礼ちゃんの起用は“ゲーム感覚を取り入れる”ことにあるわけだがこれは成功。しかし、チャンバラあり、作りモノ多々、衣装がゲーム的で派手でギラギラ、刀槍類が山ほど出て……となるとどうしても『新感線』を連想してしまう。開田さん
「チャンバラが見たくなる」
と感想を漏らしていた。
しかし歌唱力は当然のことではあるが凄い。よくマイクもなしにこんなに声が響くなと思う。夜の女王のアリア、
「地獄と復讐が私の心の中に煮えたぎっている死と絶望が私のまわりに燃え上がっているお前がザラストロに死の苦しみを与えないならお前はもう決して私の娘ではない」
というような凄まじく邪悪な内容なのだが、歌がコロラトゥーラ(技巧的で華やかな歌唱方式)で歌われて、その超絶技巧に聴いていて感服してしまうので、邪悪な感じがしないのですね。よくこの曲は耳にしているのだが、今回字幕と一緒に観て初めて
「うわ、こんな内容を歌っていたのか」
と驚く人が多いのではないか。

オペラに写実とかを求めてはいけないのだろうけれど。あと、三人の童子がUFOみたいな空中飛行機に乗って現れるのだが、これがやたら天井の高い(三階建てのビルくらいある)舞台の上から吊り下げられて移動する仕掛けで、怖いだろうな、落っこちたらどうするんだろうと心配になった。オーケストラボックスの中に、演奏に全然加わらないお嬢さんがいてこの人は何かなと思っていたら、パパゲーノの引くシロホンの音をアテる人だった。

指揮者の下野竜也さんはブザンソン国際指揮者コンクール優勝経験を持つ気鋭の指揮者らしいが、“なんでやねん”のTシャツを着ていて仰天。これもゲネならではの光景。演出自体は、ピグモンやシーボーズ、チャンドラーなどが登場するところや、パパゲーノのギャグにちょっと楽屋オチやパロディが入っているところ、舞台美術が現代的なところを除けば、思ったよりずっとオーソドックス。これは意見の分かれるところだろうが、実相寺監督がクラシックの大ファンであることもあり、そんなに崩せないのだろう。

開田さんが“案外普通ですね”というので、
「そりゃ、いくら実相寺監督でも舞台と客席の間にモノは置けない」
と答える。それにしても、歌舞伎と連続してオペラを観るというのはそう滅多にある経験ではないだろうが、どちらも今や芸術でありながら、その底辺に
「ストーリィの整合性一切なしの、演ずる、または歌う」
ものを目の当たりにする快楽というものが確固として存在し、そしてそのためにはナンデもアリという共通点があることを確認した。エンタテインメント業界に身を置く人間として、この原則を忘れまいと心に誓う。

終演後楽屋裏にお邪魔して監督に挨拶。握手求められて恐縮。パンフにサインをお願いする。
「また飲もう」
と誘われる。ここのとこ立て続けにネグっているので、次はこっちでお誘いせねば。楽屋案内のところに『ピグモン様』『レッドキング様』『シーボーズ様』などとあり、香盤表のところにも『ガラオン』『チャンドラー』などとあるのが珍。中野貴雄監督も来ていて、“あのセットは絶対にBGMがモーツァルトより007ですよねえ”と、いかにも中野さんらしい意見を。

開田夫妻と出て、小雨ソボ降る中、初台駅まで歩いて、京王新線で幡ヶ谷まで。チャイナハウスに行く。なんとS山さんがいた。席を作ってもらい、フカヒレスープ、黄ニラ炒め、鯛のトウチ炒めなど。紹興酒、蟻酒など飲んで雑談いろいろ。気圧乱高下でピリピリしているあやさん、全てのものに対し攻撃的で(除・『ローレライ』)面白い。同人誌に再録を、と渡した週刊文春の、私がグラビアでかぶっている帽子にまで「似合ってない!」

呵々。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa