裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

火曜日

余はフン族である

 その方は何かシャレを言うと申すか。言うてみい。なに、“アッチラ陽気なかしまし娘”じゃと。うはははは。よい、それはよい。むははは。むははははははは。朝、7時45分起床。雨で暗くて寒々しい。朝食、豆サラダとイチゴ。10時にお掃除のおばさん来る。もっとも、仕事場には立ち入らない。そろそろ再整理しないといけない。資料がどうしても出てこないことが続いている。

 1時半、雨の中外出。書店数店見て回る。気圧で気分が鬱々としているので、何がな面白いところでも、と思ったが、仕事に便利ということはともかく、今の渋谷というところに、ぶらりと立ち寄って面白いところ一カ所もなきを確認するのみ。引っ越した当時は刺激的な場所だったのだが、わずか七年でこうまで個性がなくなるとは。 酒屋で酒を買い、一升瓶下げて帰る。

 昼はパックご飯に、マグロの醤油漬けを乗っけて、ノリと刻んだシソを乗せ、お湯をぶっかけてマグ茶。うまいが、心のどこかに“もう少しうまい筈だ”という思いがあって仕方がない。最近、どうも文句が多くていけない。……なら、今の自分の境遇に満足していないかというと、そこそこは満足して、“ま、こんなもんだろうな”とは思っているのである。今の連中のように、“どこかに本当の自分らしい自分の能力が発揮できる世界がある”などという幻想は抱いていない。それだけでもどれほどラ クか、とは思う。

 自分の人生の満足度というのは、基本的に、子供時代にどれだけ夢を抱かなかったか、にかかっているように思う。私は、宇宙パイロットになりたいとも大会社の社長になりたいとも思わず、幼稚園のころからモノを書く商売になりたい、と思いこんでいた男で、しかも何故か、芸術家的に頭を絞ってケッサクを書くのではなく、注文原稿を端からこなしていくような、そういう職人的な物書きにあこがれていた(これは中学生くらいで都筑道夫に耽溺して、彼がエッセイで書いていたその仕事ぶりがすばらしくカッコよかったせいではないかと思う)。長じてみて、なんとそれが実現してしまったので、そのことに関しては不平不満の抱きようがないのである。以前、どこかの原稿に書いたことがあるが、ウルズラ・ヌーバー(心理学ジャーナリスト)が唱えた“人生キオスク論”というのがある。キオスクに並んでいる商品類を買うとき、本当はもっと時間をかけて選ばねばならないのに、“電車がもうすぐやってくる”というあせりから、あわてて手近のものを買ってしまう。子供時代という短い時間に人生の選択をせまられるものだから、後で“あっちの方にすればよかった”と、一生、後悔しながら生きていかねばならない。これが例えば、昔の“アイスクリン”売りであれば、最初から商品はそれ一種類しかないし、買ったところで甘味なんぞほとんどない、安っぽい味というのはわかっていて、あえて買うわけだから、買ったとたんに汽車がゴトンと動き出して、ああ、買えてよかった、と、その満足感に、味わいもかなりまぎらわされて、十分に楽しめる。夢多き子供時代を送ったものほど、後半生、いや後十分の七生くらいを、その後悔と共に生きる。こんなバカらしいことはない。チャールズ(チャス)・アダムズのマンガに、子供がバイオリンを練習している前でお母さんがほほえみをうかべて編み物をしながら、その子の将来を思い描いている、というのがあった。それが、街頭でバイオリンを弾きながら乞食をしている姿なのである。見たときはそのブラックなナンセンスに笑ったものだが、案外、これが正解な のではないか、という気が最近はしてきている。

 河出書房Sくんから、そろそろ何らかの原稿を、と催促。さて、とりかからねば、とネットで参考資料あさるが、途中でどうしたことか、表示画面の初期設定がいきなり全部キャンセルされてしまう。表示文字のフォントが変わってしまって、非常に読にくくなり、これはいかん、と、あちこち手直し。ニフティにつなぐパスワードも初期化されてしまっている。この修復に夕方いっぱい、かかってしまった。

 6時半、家を出る。雨はかなりあがっていた。参宮橋『仙園』で、植木不等式氏とと学会東京大会打ち合わせ。マスコミ宣伝用の文書を植木さんが作成してくれたのでその文言のつきあわせ。6月初旬開催なので、少々後手に回ったという感はある。とはいえ、本格的な通知は何といっても今月末発売の『と学会年鑑サファイア』にはさまれるチラシによるので、ここらの反応がどんなものか、ちと興味はある。

 K子も少し遅れてやってきて、四方山ばなし。植木氏はサラリーマンの悲哀を楽しげにコボす。私はフリーの大変さを、失業してビルの警備員をやっているという某氏の例などをニヤニヤしながら説く。どちらもチカビの危機ではあるのだが、それを二人とも、いかにも面白げに語るという心理がなかなか興味深い。K子はK子で、メシを作れる亭主を持ったことで、すでに自分は“人生の勝利者”である、とまで宣言。なんだかわからぬノリ。瓶出しの紹興酒二本と、青島ビール。食譜は植木氏の日記を見ればわかるので省略。時間も早いし、もう一軒くらい行きたかったが、気圧のせいで妙な酔っぱらい方をしているし、明日はどうせトンデモ落語会でまた会えるし、と思い、早めに別れて帰宅。K子がサイトの母のコーナーを読め、と言うのでのぞく。母の写真をK子がフォトショップで綺麗にしたことを、“あなたが唐沢家にしてくれたことの中で一番うれしかったです”と。大笑い。

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