裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

日曜日

古い映画を見ませんか・25 『レベッカ』

アルフレッド・ヒッチコック『レベッカ』(1940)

名画と名高すぎてとっつきにくいと思っている方がいるかもしれない
が、まあ、一度見てごらんなさい。ジョーン・フォンティーンの
ドジっ娘ぶりがムチャ可愛いのである。ヒッチコックの持っていた
現代性がこんなところでよくわかる。初めてオリビエと出会って
ぼーっとしてしまうところもそうだが、マンダレーで机の上の
天使像を落として壊してしまい、大あわてで引き出しの中に隠そうと
するところなど、まさに“ドジっ娘萌え”である。

脇役ではダンヴァース夫人役のジュディス・アンダーソン、
ジャック・フェベル役のジョージ・サンダースが有名だが、
さらに脇の方で往年の美人女優グラディス・クーパー、ホームズ映画
のワトソン博士役(ホームズはバジル・ラスボーン)で有名な
ナイジェル・ブルース、『そして誰もいなくなった』(1945)でも
ジュディス・アンダーソンと共演するセシル・オーブリー・スミス、後に
ヒッチコック映画の常連になるレオ・G・キャロルなど、
名優たちの大競演なのであった。

ヒッチ映画にしては笑いの要素がほとんどない(プロデューサーの
セルズニクに切られてしまった)この映画で、ナイジェル・ブルースが
怪力男の扮装をして仮装パーティにやってくるシーンの印象は強い。
嫌味たっぷりのポッパー夫人も印象深い。リアル“赤の女王”とでも
言いたくなるくらい顔が大きくて驚くが、演じるフローレンス・
ベイツは、外見からは想像もつかないインテリであり、
20代半ばで弁護士の資格をとっているそうである。

(以下ネタバレ)

……と、役者と演出、音楽(フランツ・ワックスマン)などは文句の
  つけようがないが、残念ながらこの作品、
ストーリィがミステリとしてさっぱり機能していない。
「私はレベッカを殺してない。彼女が勝手につまずいて倒れて
頭を打ったのだ」
というマキシム(オリビエ)の告白に全く説得力がないのである。
その前に殴った、と言ってるし。そもそも、最後にレベッカは
自殺だ、ということになるが、自殺の方法として
「すべって転んで頭を打つ」
なんて方法をとる人物がいるか?(これは当時の、“主人公が
  犯罪者ではいけない”という映画コードのせいらしい。とはいえ、
それにしても納得いかないのである)。

マキシムは、レベッカが他の男(ジャック?)の子を妊娠したことを
告げ、自分のタネでない子がマンダレー家を継ぐために育っていく
様子を毎日見てるといいわ、と脅したというが、
そもそも、なぜそこまでレベッカがマキシムを憎むのか、まったく
理由がわからない。結婚後四日で彼女の正体がわかった、と
マキシムは言うが、それが何でわかったのかもわからない。
結婚を続けたのは名家のメンツのため、と彼は言う。だが、勝手に
男をひきこむ妻を許さざるを得ないどんな理由がマキシムにある
のだろうか。そもそも、そんなメンツを重んじる家の当主が、
みなしご同様の貧乏娘をいきなり妻にするだろうか?

どう考えても、何か弱みを握られて脅迫されていたマキシムが
つい、カッとなってレベッカを殴り殺したとしか思えない。
そして、それがバレたときのために、医者を手なずけて、
妊娠を癌であると偽った診断書を書かせておいた。
いつかレベッカの死体が発見される、とわかっていたからで
ある。最初自分を疑わせておいて、後から無罪を証明できれば
世間の白い目からも逃れられる。映画では目立たない存在だが、
マキシムの親友で法律顧問で、レベッカに疎んじられていたという
フランクのサジェスチョンがいろいろあったことだろう。
実際、映画では主人公が途中でマンダレーに帰ってしまうため、
マキシムの女房役は全てフランクが勤めていて、どうにも仲が
よすぎる感じがする。これは共犯にしか見えない。

で、レベッカがなぜマキシムを脅迫していたかというと、
マキシムの秘密を結婚した直後に握ったから、であって、
それは性的不能ということだった、と思う。男として不名誉なこと
である他に、名家の主人としては、それは跡取りを作れないという
ことであり、下手をすると遺産の相続権すら失いかねない。
それをネタにレベッカはつけあがり、徹底してマキシムを馬鹿にし、
そして浮気して子供まで“作ってやった”と勝ち誇ったのである。
そこでカッとなったマキシムはレベッカを殺した。

もちろん、主人公(フォンティーン)とも、マキシムは性交できて
いない(努力はしたろうが)。マンダレー家に足を踏み入れた主人公が
どこか不安気なのは、ダンヴァース夫人の脅しが原因であるばかりでは
なかった。まだ、自分がマキシムと本当の意味での夫婦になれていない
からであり、そして、主人公は、それを、マキシムが前夫人である
レベッカの影にまだ捕らわれているからである、と(好意的に)
勘違いしているのである。

で、この二人はこの後どうなるのか。ラスト、燃えさかるマンダレー
家で映画は終わるが、炎は激しい情熱、セックスの心理学的象徴で
あることは言うまでもあるまい。自分を縛りつけていた古い館が
消失し、やっと、マキシムにも遅かった春が訪れると解していい
だろう。この映画は、後に精神分析学にハマりこみ、『白い恐怖』
『サイコ』という傑作にして怪作を世に送り出すヒッチコックの、
最初の“心理の裏”を描いた映画と思えるのである。

(ネタバレここまで)

……などという解釈はどうだろう。
映画というのはその裏をあれこれ忖度して観るのが楽しいものだ。
特に古い映画というのは、規制が多かった分、まるでパズルのように
こちらにいろいろ解釈する楽しみを残してくれている。
みなさんも自分なりの解釈の『レベッカ』を考えてみてはいかが。

あ、忘れていた。ジョーン・フォンティーンは東京生まれ(!)、
聖心女子学院生だった。実姉のオリビア・デ・ハビランドとは
犬猿の仲で知られるが、どっちもまだ存命、というのが凄い。
長生きまでハリ合っているか?

Copyright 2006 Shunichi Karasawa