裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

24日

火曜日

なまけ者のチェック働き

 自分で働かないものほど他人の仕事にうるさくチェックを入れるということ。朝、7時45分起床。寝汗相変わらず。朝食、豆サラダ。メールチェックしていたら、ある件でやりとりしていた編プロから、“ありがとうございます”というお礼。先日、この日記で感想を書いた佐藤秀明氏の『アザラシは食べ物の王様』は、そこのお仕事だったそうである。ちょっと驚いた。

 まだ体、けだるし。無理してもテンションあげて仕事にかからないと、本当にまずい。ゆうべやりかけのマイクロフィッシュ原稿、カッと目を無理に見開いて、という感じでやりだす。気合いが入りすぎて、ゆうべ書きかけだった部分は全部廃棄、ということになってしまう。しかし、こういう原稿というのは出来れば一気書きが望ましい。一晩置くとテンションが変わってしまう。

 各編集部から連絡。太田出版Hさんからは、図版ブツで梱包の関係で送れなかったものを持参します、という、その日時の打ち合わせ。昼飯は、冷蔵庫に残っていた菜の花とハモの皮でわっぱ飯を作って食べるが、食欲なく、半分をなんとか片づけたのみ。生命力みたいなものそのものが低下しているか、と愕然としながら、『フィギュア王』の新刊を読む。巻末の古オモチャ屋の目録広告をパラパラとながめているうちに、アレも欲しい、コレも欲しい、と思えてくる。物欲があるうちはまだ、大丈夫で あろう、と思う。

 結局原稿書きかけのまま、2時半、時間割へ。ササキバラゴウ氏、パイデザ平塚氏と共に、アスペクトから出る日記本の打ち合わせ。数ヶ月前に一回打ち合わせたきりで、“この膨大な量の記録から、どこをどのようなコンセプトで抜き出してまとめるか”という問題が未解決のまま、投げだされっぱなしになっていた。ササキバラ氏からいくつか提案あり。なかなかいい案と思えるので、その方針で作業に入ろう、ということになる。食い物日記とか、読書日記とか、日常雑記としての面白さをこの日記に求めている人にはちと不満かも知れないが。まあ、そのうちどこか物好きな版元が『完全版・裏モノ日記』を古川ロッパ日記なみの厚さで出してくれることを願っておこう。

 引き続いて、4時から村崎百郎氏やってきて、社会派くん対談。イラク戦争のアッケなさと、山崎拓愛人ばなしなど。こないだから村崎さんは咳が抜けないでいたが、肺癌の疑いもある、ということで知り合いの医者に全身CTスキャンをとってもらったそうである。“オレはタバコも吸わないのに肺癌なんかになるのは理不尽だ”というが、ゴミ拾いをしていたら、何が混じっているかわからないんだから、そういうところから感染したんじゃないかと思う。二時間、鬼畜な話で盛り上がる。“民主主義をみんなありがたがるが、民主主義の限界が生んだトラブルに今、世界は悩まされている。もっとフレキシブルに、民主主義以外の形態も選択しうる可能性を考えていった方がいい”とか、“そもそも西欧民主主義を是としてこれに従う限り、アジアも中東も、アングロサクソンの許容する範囲内でしか生きていけない。それはフセインの失敗が如実に物語っている。大東亜戦争では失敗したが、別のやり方を何とか工夫して、アジアはアジア人によるアジア人のための最適社会システムを模索していかないといけないんじゃないか”などと、マジな話も少々。いや、これとて国連至上の平和民主主義絶対主義者にとっては鬼畜ばなしか。

 終わって6時。一旦自宅に戻る。たっぷりしゃべったせいか、体力はもとにもどった感じ。今のウチに、と馬力をかけて、マイクロフィッシュの『ベスト・ファーザーズ・ブック』原稿、10枚強、書き上げる。文章はまだ粗いが、内容はほぼ、書きたいことを書き尽くしたという感じ。ひと晩おいて手を入れて、とも思ったが、すでに〆切をかなりオーバーしていることもあり、とりあえず、という感じでメール。一本原稿書き上げるというのは大したもので、テンションが全身に再び回りはじめたという感覚。やっとこの感じが戻ったな、と嬉しくなった。

 それから吉祥寺へ。K子とあやさんがJAP工房で皮製品を作ってもらったのを受け取りに行き、帰りにまた『はなさき』で食事をするというのでそこで落ち合う。今日は川上さんたちはおらず、開田夫妻とわれわれだけ。ご主人が張り切って、いろいろと凝ったものを作ってくれる。柳川鍋風煮物、芥子菜とマグロたたきの和え物、温泉卵のウニ和えなど、いずれも酒の肴に美味このうえなしだったが、“いま、大きなのがいくから”と、大皿に盛られて出てきたのが、巨大なるホウボウの揚げ物。三十センチ以上はあるホウボウを唐揚げにしてたれをかけたもので、それに里芋とソラマメの揚げたものが添えてある。開田さんと、温泉旅行の話などしながら、きれいに平らげる。食欲も回復か。ビール、日本酒と、やはりいつもより回りが早いので、焼酎に変える。仕上げの雑炊、ダシが効いてまことに結構。開田さんは“食べ物屋の息子なもんで、ものを残せない”と、山盛りの雑炊を三杯も平らげて、“あ、下を向けない”と、うめいていた。JRで新宿まで。そこからタクシー。用心に漢方薬のんで、 就寝。

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