裏モノ日記

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26日

月曜日

今夏映画日記1『パシフィック・リム』(ちょっとネタバレ)

観に行って興奮しない怪獣ファンはモグリである、とまで言われている作品だが、私的にはうーん。これはロボットアニメの実写版であって、怪獣映画(作中で日本語のカイジュー【怪獣】とドイツ語のイェーガー【Jäger=狩人】をくっつけているのは、カイジュウエイガ【怪獣映画】のシャレだろうな)とは似て非なるものだと思う。

本来、日本の怪獣映画というのは高度経済成長の、アメリカの怪獣映画というのは東西冷戦のそれぞれアナロジーであって、それ故に1950年代から60年代にかけてが最盛期であり、それ以降は存在意義を失って、あまり製作されなくなったジャンルである。

そういう意味で、この映画がアメリカや日本でそれほど当たらず、中国で大ヒットしているというのはよくわかる。中国はいま現在が高度経済成長期であり、また日米との冷戦時代なのだから。

怪獣絵師の開田裕治さんにそう言ったら、
「この映画にそういう意味を読み取ろうとしてはいけない、ただ怪獣とロボットの殴り合いに興奮する映画なのです」
とたしなめられた。と、すると、この映画は金と技術を最大限につぎこんだ『ウルトラファイト』の映画化なのかもしれない、と思えてきた。ならば確かに世界観とかストーリーに期待するべきではないのかもしれない。

とはいえ、デル・トロ監督の演出は怪獣のシーンと人間ドラマのシーンで明らかに温度差がありすぎであり、もう少し演出を詰めろよ、とイラつくシーンがいくつかあった。

例えば、長官の病気と、怪獣とのドリフト(精神同調)の身体的影響を同じ鼻血で表現するのはいかがなものか。最初、ははあ、この長官が実は秘かにドリフトしていて、敵に操られているのだな、とミスリーディングしてしまった。

また、SW『シスの復讐』あたりからポピュラーになった「寸止め」演出も、バランスボールは笑ったがポラード(波止場の繋留柱)の鳥は、あんな最中に呑気にとまってないだろ、とちょっとわざとくさく感じてしまう。

さらには菊地凛子の演技が非常に素人くさい。嬉しいところで笑い、哀しいところで泣く。これは芝居の基本がわかっていない者の演技であり、薄っぺらく感じられてしまう。こういうところ、監督は演技指導してやらないといけない。ひとり息子を亡くしたハンセン(マックス・マティーニー)の抑えた演技の渋さを学んで欲しい。

それに比較すると怪獣の出現、イェーガーとの対決シーンは力が入っているが、残念ながら怪獣のデザイン的個性が不足している。二体出てくると(画面が暗いこともあるが)どっちがどっちだか混乱してしまう。色がみんな同じということもある。ああいう生物がカラフルな色をしている、という設定はウルトラシリーズで育った日本人のある世代しか受け入れられないのかな? 

結局のところ、オタク監督の作品(『キル・ビル』とか)の常である元ネタ探しとかが一番楽しめるということになる。男女合体とか、プリカーサーの設定とかは『ウルトラマンA』だろうとか、ジプシー・デンジャーの胸の原子炉のデザインは『鋼鉄ジーグ』だろう、とか。

マジンガーZを連想したのはロケットパンチとかでなく、せっかくいいキャラと思ったロシアや中国のイェーガーや操縦士たちがアッケなくやられちゃうところ。ジャンプ連載のときの最終回あたり。

あと、せっかく本多猪四郎監督にリスペクトを捧げているのなら、怪獣の名前に、1匹でもいいから「〜ラ」というのを入れて欲しかった。あれはもはやほとんど死滅した伝統であり、昭和の怪獣映画テイストをそれだけで感じさせてくれるアイテムなのだ。

私的総括。SFXに制作費(2億ドル)の大半をかけて、結局全部ロン・パールマン一人に持ってかれてしまったな(笑)。

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