裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

22日

火曜日

古い映画を見ませんか・31『Mr. Moto's Gamble 』(1938)

『カサブランカ』からピーター・ローレつながりで。



ハンガリー出身のピーター・ローレはその特異な容貌で、一目で非・米英人とわかるキャラクターを多く演じ、『カサブランカ』でもどこの国の人間だか判然としない旅券密売人のウガーテを演じていたが、彼のB級ムービーでの当たり役となったのが何と日本人役。日本人の名探偵モト(元 賢太郎がフルネーム)を演じたシリーズが1937年から、日米関係が悪化しはじめる1939年に到るまで、8本にわたって作られた。

日本人探偵と言っても、ことさらに日本を強調はしておらず(テーマ曲にも銅鑼や三味線は使われていない)、アメリカ文化に普通に溶け込んでいる日本人の設定。要はジュードーをあやつり、妙に腰が低く、細かなことを決して見逃さない油断ならない明晰さを持ち、かつ、西洋人とはちょっと異った論理思考をする、という“異文化”キャラクターである。特に後期の作品になると、時節がら日本人という特色は出来るだけ目立たないようにしている。ひたすらローレのキャラクターでもたせている印象だ。ただ、作中に登場する日本語の文字などは、たぶんハリウッドで製作された映画において当時最も正確なものである。

ローレは小柄な体躯に金縁眼鏡と、さほど目立たないが出っ歯のつけ歯をして日本人に扮しているが、ときおり見せる武術の技など、アクションができない(おまけに体型からスタントを使えない)ために何とも珍妙なものになっている。原作では天皇直属の日本の情報部員という設定であるが、人気シリーズの常でそんなものは途中からどうでもよくなり、この『Mr. Moto's Gamble』(三作目)では大学で探偵学を講義する先生になっている。戦争ぎりぎりまで、アメリカは日本人を(色眼鏡を通してではあるが)ヒーローとして描いた作品に喝采を送っていたのだ。

上記の日本文の正確さも、それだけ現場にチェックできる日系人が大勢いたという証拠である。これは、戦争中に作られたジェームズ・キャグニーの『Blood on the Sun(東京スパイ大作戦)』(1945)などを見ても感じることであり、むしろ、珍妙な日本文化、日本人観がハリウッドに蔓延しはじめるのは戦後の作品からなのだ。いかに戦争というものが国と国との間を遠ざけるかがわかる。

ところで、この1930年代はハリウッドで東洋人探偵ものがブームになっていた時期で、かのボリス・カーロフも中国人探偵ミスター・ウォンなどを演じている。カーロフは30年代初期には西欧文明を呪う東洋の怪人フー・マンチューを演じていたことを思うと、アメリカの大衆レベルでの東洋人のイメージは、黄禍論がさかんだった19世紀末から、太平洋戦争戦争直前までにかけて、かなり好転していたのだということがわかる。真珠湾ですべてチャラになってしまったわけだが。



この、東洋人のイメージをかなりアップするのに貢献したのが、これまたフー・マンチューを演じたことのあるワーナー・オーランド扮するハワイ在住の中国人探偵チャーリー・チャン。70年代に至ってハンナ・バーベラがアニメ化までしたほど人口に膾炙した30年代のチャーリー・チャン映画人気は多くのエピゴーネンを生み出し、ローレのモトも当然、そのひとつだった(そもそもJ・P・マーカンドの原作自体、チャーリー・チャン・シリーズの作者アール・D・ビガーズの死去で、それに代わる東洋人探偵ものをサタデー・イブニング・ポスト紙が欲しがったために書かれたものだった)。

この『Mr. Moto's Gamble』には、その公開年に死去したワーナー・オーランドに対する、素晴らしくシャレたオマージュが捧げられている。なんと、モトの大学の講義の聴講生の中に、オーランドのチャーリー・チャン映画で、チャンの息子(ワトソン役)としてレギュラー出演し人気を得ていたケイ・ルークが、そのままの役(役名も同じリー・チャン)で登場し、事件に関わり合うのである。名前こそ出ないが、モトはリーに

「お父様はホノルルで快適にお過ごしですか」

と話しかけ、リーは

「ええ、父は私に大学で勉強してこいというのです。私は父のもとで探偵になりたいのに!」

などと答える。そして、チャーリー・チャンものと同じく、まぬけなワトソン役を演じて見せるのである。先達に対する尊敬と、人気シリーズ間でのつながりを暗示して両方のファンをニヤリとさせる遊び心が横溢した名アイデアと言えよう。

なお、ケイ・ルークはその後もハリウッドで中国人役者として活躍、『燃えよ! カンフー』の老先生役や『グレムリン』1・2の骨董屋の主人役などで晩年まで映画・テレビに出演を続けた。

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