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2013年7月3日投稿

つぶやき日記6月13日〜16日

6月
13日(木)オラ・オラ・オラ

真珠湾のアサー!(もう古すぎて誰もわからん)

朝二度寝して三度寝して昼近くまで寝てる。母は病院、台風は接近、起きたところで仕事にならぬ。1時朝食兼用昼食、タンドリチキンのパニーニ。缶コーヒー 二本と。某社から原稿料書留。同じく某者から掲載誌。さらに同じく某社から、PR誌に採録したいという昔書いた原稿ゲラ。

ゲラ読んで驚く。そういえば渋谷の住所に届けたのが返ってきたと問い合わせがあったから、いつの住所録使っているのかと思っていたが、よくこんな原稿、探しだしてきたなと思うほどの古い原稿。しかもその内容が数年前のことを回想的に書いているもの。私にとってはタイムカプセル開けたような内容だった。

どうしようと本気で悩む。ちょっとの手直しでは済みそうもないし、かと言ってゲラまで出た段階で掲載NGと言っても向こうが困るだろうし。素直に末尾に注 釈文書き足すのがベストか? とりあえずそれはおいといてメルマガ原稿二回目更新分(最初のはサンプル分)執筆作業、昨日の続き。

筆ノッてきて止まらなくなる。今回、三つネタを取り上げる予定をほぼひとつにする。それにしても原稿用紙400字詰め10枚以上になりそう。アタマが熱くなってきた(比喩と実際と両方。頭頂が汗ばみ襟元に垂れてくる)ので、雨も霧雨に近くなったので、傘さして散歩に出る。

中野駅まで往復。昨日と同じくピーコックで買い物。帰宅したらパンツまで霧雨と汗でぐっしょり。この状態で体力テストやってみる。ギリギリ最低ライン。原 稿再開。11時までかかって完成、結局400字詰め15枚以上になった。先日書いたと学会本の原稿と相互補完の内容になっている。

入矢くんにメールして、夜食の支度。ふと、今日は母とも顔合わせず、打ち合わせ等もなし、スーパーでの「サービス券お持ちですか」「ないです」などという の以外に人と会話したかしらん、と思う。考えて思い出し、今朝、二度寝と三度寝の間くらいに週刊PBから電話あってそこで話した、と膝を叩く。PBの記事はせっかく「文化人類学」と褒められた部分は全カットだったが、これは編集さんがこういう話が好きなので話したもの。あとで新書の企画のときに使えばよし。よく「テレビでコメントしたけど全く違う使われ方した」と怒る人がいるが、業界とはそういうもの。それがイヤなら自分の冠番組持つ他なし。

内海賢二さん死去。数日前にと学会のO氏から「仕事を入れていたのが緊急入院でキャンセルになった。危ないかも」と聞いて覚悟はしていたが。声優デビューという『狼少年ケン』の片目のジャックから、『ピンク・パンサー』のドレフェス署長まで、 特長ありながら幅広い演技で楽しませてくれた。『不連続殺人事件』でいきなり実写映画出演していたときにはビックリしたなあ。実写版『キャシャーン』を私が認めなかったのも、ブライキングボスが内海さんでなかったからだった。・・・・・・ご冥福を祈 ります。

夜食11時半。昨日と同じく豚タン茹で、塩トマト、トウモロコシ茹で、カニカマ素麺。DVDでお気に入りの『アンドロメダ……』。英語字幕で見ていたら、ケイト・リード演ずるレビット博士が施設の食事である栄養液のグラスを掲げてジェイムズ・オルソンのマーク医師に「毒人参(ヘム ロック)を飲め!」とふざけるシーンで、「ヒポクラテスよ!」と呼びかけている。毒人参ならソクラテスだろうが、医者相手だからヒポクラテスなのか?

酒類はあまり進まず。 マッコリサワーと青汁ハイのみ。DVD見終わってもまだだらだらして、3時まで起きている。すっかり夜型になってしまった。


14日(金)カスミン革命

アラブ諸国であのアニメが放映されたときの衝撃は革命的で・・・・・・。

朝9時半朝食、豚カツ。果物はネーブル。これが甘いのなんの。小雨パラつき、体調また低下。ベッドで悶々として過ごす。雨の日はしょうがない。都議選に関してマイミクの日記にコメントしてちょっと反論してきた某作家さんとやりとり。

論点ずらしというのはよくあるが、逆に論点を絞りこむことで付随する問題を無いことにしてしまう、という論法がなかなか興味深い。リンゴの値段が高いか安いか論じている人に「そのリンゴはマズいよ」と教えて、「今は値段の話をしているので味は関係ない」、と叱られた気分。

台所でアルミ鍋を使うと決まって『ウルトラQ』の『ゴーガの像』の回を思い浮かべる。冷蔵庫の製氷装置に水を入れるとき、必ず虫プロアニメ『クレオパトラ』のことを連想する。なぜだかわからない。多分、以前何かそれとこれを結びつける具体的エピソードがあったのだろうがそれは忘却され、関連記憶のみが残ったのだろう。

体調回復せぬまま夕方。入浴して、明日の田中信夫さんインタビューの準備し、荻窪まで。昼食は食べ損ねた。荻窪地域区民センターで『祟らぶ』ビデオ上映会。キャスト・スタッフ十人以上参加。2ヶ月前のあのドタバタが夢のようでもあり、まだその渦中にあるようでもあり。

見終わって、荻窪まで歩き、稽古時何度か行った居酒屋『大心』で打ち上げ。もう、いろんな話一気に。舞台監督の入倉さんも来てくれた。私のところは劇団形式でない個別参加ユニットなので、ひとつの座組は基本、千秋楽後の打ち上げで終り。こういう同窓会みたいな集まりは初めてやったが、いいものである。

最後に残った某役者さんがかなり酔って自由な発言。私は笑って聞いていたが入矢くん、真面目なのでちょっとイキドオリ、「それを言ってはいけない」と。最も、こっちも入倉さんや吉田さんと、他劇団についてかなり自由な発言。芝居という、自我表現を商売にしているとこういうことは致し方なし。ヘンな話だが、大ベテランの某氏にインタビューしたときも全くお話は同じ。

15日(土)ザラブの春
アラブ諸国で『ウルトラマン』第18話が放映されたときの(つまらんのでやめ)。

すさまじい二日酔いで起床、昨晩帰宅の記憶なし、右足の向こう脛に転んで角にぶつけたような傷あり。かなり痛む。記憶によれば途中でコンビニのATMで金を降ろしてきて、帰るさに階段のところでかなり派手に転んで角にぶっつけた。シラフだったら痛くて眠れなかったと思われるが、アルコール麻酔で感じなかったものと見える。最後は入倉さんと焼酎の飲み比べみたいな 状況だったからな。ただし吐き気とか胃のむかつきはナシ。ダルいだけ。それでも今日は1時からインタビューなので、死力振り絞って10時起床、母の室で朝食。

朝食、肉野菜炒め。二日酔いの胃でも旨かった。果物はキウイ、ネーブル。シャワー浴びて家を出、千駄ケ谷。俳協会議室にて田中信夫さんインタビュー(写真)。Tくん、談之助さんと一緒に。イメージよりずっと小柄な方だった。まあ、アメリカ人のスターを吹き替えている声優さんの多くがそうなのだけれど。

田中さんは『コンバット』でのサンダース軍曹の声というのが日本では通りがいいが、アメリカでは「ビル・コスビーの日本での声」というと驚かれるという。アメリカではビル・コスビーを 知らない人はいないとか。息子さんがマネージャー的に脇についていらしたが、この人がオタク(軍オタ)で、毎回コミケにも来ていて、私のブースで青野さんの本や大塚さんの本も買っていると。世間は狭い! 田中さんから「青ちゃんのこの本、いいですねえ」とお褒めの言葉をたまわる。

田中さん、決してお話をうかがいやすいタイプではない(江戸っ子気質で、自分のことを言い立てることに対しシャイである)が、辛抱して聞いていると、素晴らしいエピソードがぽろぽろ。町で「よう、大将」と声をかけられて「てやんでえ、こっちは軍曹だ!」と答えたというエピソードに大笑い。

ノスケさんに同席してもらったのは、田中さんが俳協落語部で増岡弘さんらと落語をやっていらっしゃり、彼がその二代目顧問という関係から(初代は柳家さん助師)。川口浩探検隊のナレで「人跡未踏の沼に住む人食いワニ」と言ったら新聞に「人跡未踏なのにどうして人が食えるのか」と投書が載った、という話は落語より面白い。

終って総武線で談之助さんと帰宅。『立川流騒動記』の続編の話など。東中野で別れ、自分は中野・・・・・・のつもりだったがまだ昼飯を食ってないことを思い出し、電車の扉が閉まる直前に飛び降りて、駅前の大盛軒で焼肉麺。ここに日参したのは、まだ仙台の大学に席を置き、イッセー尾形の公演で上京していた頃だった。

あの頃の私は屈託していた(今でもしているが)。東中野には他にも店はたくさんあったが、ほぼ、ここオンリーという感じだったのは、食を楽しむなどという 余裕のない状態だったからかもしれない。今からもう30年以上前であり、当時通っていた店で残っているのはほぼ、ここくらいになってしまった。

帰宅して少し休む。6時、マド夫妻とSタロー母の室に来訪。こないだ母の誕生プレゼントで買ったパソコンを取り付けに。作業しながら、母の手料理。豚肉アスパラ巻き、マグロユッケ、パエリア、フォアグラ乗せステーキ。パエリア、炊き込みご飯風だがそれはそれで非常に旨し。さすがに昨日の今日で酒は進まず。

コミケの打ち合わせなどもする。Sタロー、はしゃいではしゃいで。スプーンを片手に「ピュー」と言って回転し、倒れるという行為が非常にお気に召したらし く、終ると「センセ、もう1回!」と言う。「もう1回」と言え、ということである。言うとまた回る。これをもう無限と思えるほど続ける。脳内に何か快楽物質が分泌されているのだろう。子供というのはわからない。

9時ころみんな去る。自室に戻り、またちょっと休み、1時過ぎ起きて、寝酒を入れようと、母の手料理の余りの焼きリンゴで(!)焼酎。DVDでUFO番組など見つつ。いろいろモヤモヤしたもの心にあり。

16日(日)ボーイズ・ビー・耽美しやす
クラーク先生、僕たち同性愛かんけいになりやす。

10時起床、母の室で朝食。母は昨日のパソコンに案の定まだ慣れず、愚痴。再びベッドに戻り、ぐずぐず。何一つ出来ぬ廃人状態。気圧の谷の底に沈んだま ま。メールやりとりのみ。B社から、メルマガ宣伝のインタビュー、やってくれると返事きた。有りがたし。あとDVDのことなど。

夕方近くになってやっと活気らしきもの出て、とにもかくにも外に出なくては、と散歩。中野駅まで歩く。ならいせいでピーコックに入り、晩の食事の素材など買い物し、その後でそうだ食器(ゆうべ割れたグラス)買わねばと思い出し、さらにサンモールの食器屋に。

この食器屋、サンモールに私がまだ学生の頃からある店で、昔はブロードウェイはしゃれた店の並ぶおしゃれな商店街で、対象的にサンモールは古びた店ばかりだった。裸電球吊るした古本屋などあったものである。その時代からある一軒がこの食器屋。

懐かしいなと思いながら店に入ったら、まさに70代の女性客が、店のおばちゃん相手にそういう話をしていたところだった。おばちゃん、少なくとも自分の代までは続けるつもりだとか。母親は90までこの店に立っていたそうだ。

ふうん、と思いながらグラス二つ買う。新聞紙使ってくるんでくれるのもレトロ。もう客も私やさっきの婆ちゃんみたいな年寄りばかりなんだろうなと思った ら、入り口近辺で騒がしい声がして、若いカップルの女性の方が「なにこれ可愛い〜!」と叫んでドラえもんの皿を何枚も手に取っていた。自分たちで使うつもりか?

もう6時過ぎだがまだ明るい。いつぞやの馬肉屋にいってチョイと飲(や)ってくかな、と足を向けるが、残念日曜は休みらし。じゃあ、といつも金竜門いく道で気になっていた牛タン焼きの店『唐兵衛』に。入ってみると案外高級そうな店。勧められて二人がけの席を一人で占領。とりあえずタン塩焼きとビールのセットを注文。

タン塩一片口に放り込んでみたら思った以上の味、突き出しのタンの佃煮も和風コンビーフの趣きで結構。生お代わり、さらに黒ホッピー、これがまた憎い盛りのよさ。さっきの敵討ちでメニューに大書してあった馬刺を頼むと、これがまた結構そうなもの。生ニンニク巻いて食ってみると甘味が口内でトロける。

結局、ホッピーは中身三回お代わり、あとネギの梅ペースト焼きとタン塩もう一皿、〆に麦とろセット、とフルコース行ってしまった。いい気分で出て帰宅して、そのまま寝るが、12時過ぎに目を覚まし、そうだそうだ、買ったグラスを使わなきゃ、と青汁ハイつくってネットなど覗いて寝酒入れて2時頃、 改めて就寝。何も仕事しなかったが、日曜としちゃ充実していたかも。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa