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2013年6月25日投稿

量と質の人 【訃報:リチャード・マシスン】

6月23日、死去。87歳。
ホラーに理詰めの説明を加えるとシラけることが多いが、その理詰めの説明が(あまりに理詰めであるが故に)ブッ飛びすぎて、なまじのホラーより異様な印象を与える大傑作ホラー『ヘルハウス』(73)の原作・脚本を手がけた人。原作は『地獄の家』という邦題であった。

もともとはSF作家として『地球最後の男』や『縮みゆく人間』などの佳作を書いていたが、低予算SF映画がブームになった50年代に、自らその原作の脚色を手がけるようになり、SFブームが去ると今度はホラーブームに乗ってかのロジャー・コーマンと組み、エドガー・アラン・ポー作品の脚色の仕事をするようになって、『アッシャー家の惨劇』(60)『恐怖の振子』(61)『忍者と悪女』(63)など、その作品の質に大いなる貢献を果たした。もちろん、ホラーの本家とも言うべき英国のハマー・プロダクションにも参加していて、デニス・ホイートリー原作の『悪魔の花嫁』(68)で見事な脚色技術を見せてこちらをウナらせてくれた。

それらの集大成が上記『ヘルハウス』で、マシスンのホラー的資質とSF的資質の双方が見事にマッチして、しかもそれら二つが化学変化を起こしてブッ飛んだ発想になった怪作/傑作なのである。

この他、マシスンの脚本家としての作品で記憶に残るのはジュール・ヴェルヌの原作を脚色した『空飛ぶ戦闘艦』(61)や、TVムービー用に自分の原作を脚色、スティーブン・スピルバーグが監督した『激突!』(71)、レイ・ブラッドベリの原作を脚色した『火星年代記』(80)などがあり、その他、『事件記者コルチャック』(72)『ゴースト・ストーリィ』(72)のようなホラー系や『トワイライト・ゾーン』(59)、『スター・トレック』(66)のようなSF・ファンタジー系作品ならまだわかるが、『コンバット』(62)のような戦争もの、『ヒッチコック劇場(62)のようなサスペンス、『ボブ・ホープ劇場』(66)のようなコメディまで手けている幅の広さ、仕事量の多さ(一時はローガン・スワンソンというペンネームまで使って書きまくっていた。同じシリーズで二つの名前を使い分けていたこともある)には驚嘆せざるを得ない。

もちろん、中には『ジョーズ3』(83)のような駄作(?)もある(そもそも何で参加したんだか)。自作を脚色したテレビムービー『宇宙人誕生(衝撃の懐妊・私は宇宙人の子を宿した)』(74)などを見たときは、さしものマシスンもそろそろ焼きが回ったか、と思ったものだ。しかし、その後『トワイライト・ゾーン』が『トワイライト・ゾーン/超次元の体験』(83)として映画化されたときにも、”当然のごとく“参加して、自らの原作・脚本作品『2万フィートの戦慄』を、見事に再脚本化して健在を示していた。

他の多くのプロリフィック・ライター(多作家)と比較すれば、マシスンの作品は、どんなに書きまくった時期のものであっても、また後期の作品であっても、(いくつかの例外をのぞき)最低限の質を保ち、決してC級、Z級のトンデモ映画には堕さなかった。質と量を兼ね備えた作家と言えるだろう。だからこそ、彼の作品はSFやホラーのブームの根底を支え、多くの若い世代の目に触れ、記憶に残り、それが2000年代に入っての『アイ・アム・レジェンド』(07。『地球最後の男』の3度目の映像化)や『リアル・スティール』(11。これも短編『四角い墓場』の、テレビの『トワイライト・ゾーン』での映像化のリメイク)などといったリメイク・ブームにつながっているのだろう。まさに、我々の世代にとってはSF・ホラーの偉大なる父、といった感じの人であった。

お疲れさまでした、と声をかけたいが、たぶん本人はもっともっと書きまくりたかっただろうなあ、と思うのである。黙祷。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa