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2013年5月22日投稿

才人ゆえのミス【訃報:ブライアン・フォーブス】

英国の映画監督・脚本家、ブライアン・フォーブス、5月8日死去。86歳。
日本ではほとんど知名度がないが、本国イギリスのマスコミは「映画界の巨人」としてその死を悼んだ。

長く病床にあったということで、遺作は1992年の、チャップリンの伝記映画『チャーリー』(脚本参加)。映画に携わる人間には、スタッフやキャストを自分の信頼できる友人関係で固める人が多いが、彼はその典型的な例で、脚本家のウィリアム・ゴールドマンや作曲家のジョン・バリー、俳優で監督のリチャード・アッテンボローなどと、常に、と言ってもいい感じで仕事をしていた。

自分の作品で彼らを使う他、彼らの作品に逆に協力し、その中には演出や脚本だけでなく、役者としての出演も数多い。例えば『ナバロンの要塞』(61)における当番兵とか、『暗闇でドッキリ』(64)のヌーディスト・クラブの係員とか。

石上三登志のユニーク極まる尻取り人物事典『地球のための紳士録』(80)では、彼について
「脚本家としても監督としても、すでに定評のあるこのフォーブスが、なんでまた、時々他人の作る映画の、しかも端役として、出演などしているのか、これは現在に至るも謎である」
と書いてあるが、これは上記の、英国映画人たちの仲間うちのお遊びであり、かつ、フォーブスがそのキャリアを英国ロイヤル・アカデミーの演劇部門からスタートさせたということにもよるだろう(石上三登志氏のような博識の人ですら80年代にはなかなかわからなかったことが、今はネットで簡単に調べられる。いい時代になったものである)。ルドルフ・ヌレエフのドキュメンタリー映画などでは舞台で鍛えた発声でナレーションをつとめたりもしている。

フィルモグラフィーを見ると、アイラ・レヴィン原作の怪奇映画『ステップフォードの妻たち』(72。後にフランク・オズが『ステップフォード・ワイフ』として05年にリメイク)をはじめとして、日本未公開のものが多く、残念ながら未見のものだらけだし、リアルタイムで映画館で観た『シンデレラ』(76)や『インターナショナル・ベルベット』(79)はどうもいまいちシャッキリしない出来だった。

私見の限りによるブライアン・フォーブスの最高傑作は、遺作『チャーリー』でも組んだリチャード・アッテンボローの制作・主演によるサスペンス・ミステリー『雨の午後の降霊祭』(64)であると思う(これも99年にリメイク。しかも何と日本で、黒沢清によって『降霊KOUREI』として)。この地味なモノクロ作品の日本公開は、英国での公開から15年も遅れた1979年。同年公開の『インターナショナル・ベルベット』の監督だから、ということで映画会社が買ったのだろうか? いや、何であれ、こんなマイナー作品が劇場で観られるというのは、こちらとしてはとにかく有難かった。

心霊好きなイギリス人らしい、降霊会をネタにして、子供を亡くしてから霊の世界にのめり込んでいった妻と、いまだ常識の世界に片足は残しているものの、妻の言うことに逆らえない夫(アッテンボロー)の、細い糸がピンと張られているような関係を、地道に、しかし素早い展開で描いていく。誘拐した子供の居場所を当てて、降霊者としての妻の名を高めるためのたあいない犯罪。しかし、すでに“あちら”の世界に足を踏み入れていってしまった妻は、誘拐した少女を殺して、死んだ息子のガールフレンドにしよう、と言い出すのである!

主演のキム・スタンレーとアッテンボローの名演もあるが、日常の描写の中にふとまぎれこむ異常性が、急速にエスカレートするその演出と脚本(脚本もフォーブス)が見事で、ブライアン・フォーブスという名前はいっぺんで覚えてしまった。1960年代後半、英国においても映画産業はテレビに押され、差別化のためにカラー、大作化が進んでいき、こういう小品の地味な佳作はどんどん作られなくなっていった。『シンデレラ』も『インターナショナルベルベット』も、フォーブスにとってはアウェイな戦いだった気がする。もっと『雨の日の・・・・・・』のようなフォーブス作品を観てみたかった。残念である。

なお、彼はその60年代を代表する映画シリーズである『007』シリーズの第一作、『ドクター・ノオ』(62)の監督を打診され、「またばかばかしいドンパチアクションものだろ」と、話を蹴ってしまったそうだ。才人ゆえの、生涯のミスであろう。この作品、音楽はモンティ・ノーマンが当初起用されたがプロデューサーと意見が合わず、『007のテーマ』一曲のみ作曲して降板。後をフォーブスの親友のジョン・バリーが引き継いだ。もし、最初からバリーが入っていたら、仲間意識の強いフォーブスである。降りなかったかもしれない。歴史のイフであるが、そうなったら、どんなジェームズ・ボンド映画が出来あがっていたろうか。

R.I.P.

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