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2012年10月7日投稿

遅咲きの花 【訃報 大滝秀治】

10月2日死去、87歳。

わが家(唐沢家)で大滝秀治の名前が出ると必ず語られるひとつ話が、札幌ロケの最中、薬局に目薬を買いに訪れた話だった。目薬はいろいろあるがどれにしましょう、と父が聞くと、
「安いやつ! 一番安いやつ!」
とカン高い声で言ったそうである。何かいかにも大滝秀治ぽい。顔がやっとポピュラーになりはじめた頃だというから、70年代半ばの話だろう。

この人の長い役者生活で、晩年のイメージだった飄々としたキャラクターを自分のものとしたのは、そんなに前のことではない。若い、といっても40代半ばから50歳くらいまでのこの人は、ぬめりとした顔と掠れ声が不気味な悪役、といったイメージが映画では強かった。

福田純監督の『野獣都市』(1970)ではギャング団のボス。小悪党的役割で、黒沢年男に銃撃されて負傷し、人質になる。黒沢年男にむかってさんざ悪態をつくが、虚勢であることがまるわかりの、情けない小物を巧みに演じていた。同じ年の山本廸夫監督『悪魔が呼んでいる』では落魄貴族で、大富豪の遺産を相続した酒井和歌子を次々にひどい目に合わせ、自殺に追い込もうとする。キャバレーで酒井和歌子にスケベに迫り、財布をスラれたと一転居丈高に問い詰めるあたり、もう中年のいやらしさを爆発させた演技であった。甥の後宮(西沢利明)に
「役者などに落ちぶれおって。家の名をけがしたドブネズミめ!」
と吐き捨てるのは、後に名優の名を欲しいままにした大滝秀治のことを知ってからこの台詞を聞くともう、爆笑ものである。爆笑と言えば最後、酒井和歌子を殺そうと用意された毒入り紅茶を知らずに飲んで死んでしまうシーンをオールナイトで初めてみたとき、映画館中で大笑いが起こったものだった。

こういうイメージは怪奇もので、岸田森の和製ドラキュラの父親役という凄まじい親子を関係を演じた『呪いの館・血を吸う目』(1971)や、最初は与党を陥れられるスキャンダルだと喜び仲代達矢の万俵鉄平に味方するが、情勢不利とみるやいとも簡単に彼を見捨てる“社民党”代議士役の『華麗なる一族』(1974)あたりまで続く。転機はテレビの世界からやってきて、彼の演技に心酔した倉本聰が、『前略おふくろ様』(1975)で桃井かおりの父役に起用、さらに同年『うちのホンカン』で堂々主役のホンカンこと河西公吉巡査を演じさせ、ガンコだが人のよい老け役、というイメージがお茶の間に浸透。このあたりで怪優のカンバンが下ろされ、名優という評価が定着する。1925年生まれだからこの年50歳。遅咲きの花、であった。さらに二年後の1977年、『特捜最前線』で老刑事船村を演じ、これ以降、悪役を演ずることがほとんど無くなっていった。

とはいえ、完全に善人役にシフトしたわけではない。1976年の『犬神家の一族』では、古文書集めが趣味の神社の宮司。この神社の先代の宮司であった野々宮大弐が、少年時代この地方に流れ着いた天涯孤独の少年、犬神佐兵衛と男色関係を結んでおり、それがずっと後の殺人事件につながっていくのだが、この状況の説明役である大滝秀治もどこかホモっぽく、
「私は古文書を読むのが趣味で・・・・・・あなたは?」
と石坂浩二の金田一に視線をやる場面で、ちょっと怪しげな雰囲気を一瞬かもしだすところが、クセモノ俳優のクセモノたるところ

1978年のドラマ『はぐれ雲』(これも倉本聰脚本)では、元同心の鈴木長十郎役。雲(渡哲也)に道楽を学んで遊び人になろうとし、“あそび”という言葉を“あすび”と発音して粋がっている野暮な侍を楽しそうに演じている。さらに同年、手塚治虫原作の超大作(?)『火の鳥』ではヒミコ(高峰美枝子)に使える老臣、スクネ。忠実な家老役・・・・・・と思いきや、ヒミコが死ぬと、ヤマタイ国の支配者の証である金印を
「これでこの金印はわしのもの」
と、陶酔した表情で顔におしつけたりしていた。もうこの頃になるとかつてなら“怪演”と評されたであろう演技も“味”になっていく。

1981年のTBS創立30周年記念番組『関ヶ原』では冒頭のみの出演だったが、奈良の名医北庵法印の役。義理の息子の島左近(三船敏郎)がもたらした豊臣秀吉の病状報告に、無表情のまま
「この病は治らぬ。・・・・・・死にます」
と断言する。天下人の死を告げる、運命の声として、あの大滝秀治のかすれ声は最高のキャスティングであった。それにしても、5歳も年上の三船敏郎の“(義理の)父親”役がピッタリ当てはまるところが、いかにも大滝秀治らしいというか。

大滝秀治という役者を一言で言うと、個性が強過ぎて役を食ってしまうというか、さまざまな演技プランを以て演じても、結局、見終った後は大滝秀治本人の記憶しか残らない、という人だった。それ故に人気が出るまでには時間がかかったが、いったん意識の中に認知されてしまうと、もう、“この人でなくては”と思えてきてしまう。笠智衆などのパターンである。モノマネされるようになれば役者も一人前、と言われるが、まさに大滝秀治は関根勤をはじめ、数多くのコメディアンによってコピーされ、一般大衆の中に認知されていった役者だった。

それ以降も、伊丹十三が自分の監督デビュー作に三顧の礼をもって迎えたという『お葬式』(1984)の、傲慢な伯父の役、おそらく唯一のアニメ出演作で、平和を願うパワーでペリカンたちの群れを合体させ、目からレーザー光線を発する巨大ペリカンとなって中東の軍隊を全滅させてしまう(!)長老ペリカンを演じた『カッタ君物語』(1995)、未来世界の独裁者を演じた『CASSARN』(2004)など、名作・怪作を問わずに出演、そして最晩年の(映像における)代表作と言えば、2008年の正月にNHKの時代劇スペシャルとして放映された、『「母恋ひの記」〜谷崎潤一郎「少将滋幹の母」より〜)における、50歳以上歳の離れた美人の妻を持つ老公卿、大納言国経役だろう。その妻(黒木瞳)を権力者・時平(長塚京三)に奪われた国経が、薄の生い茂る河原で狂乱していく演技には鬼気迫るものがあり、こればかりは、“いつもの大滝秀治”からは予想もつかない、役者人生の集大成的なものであった。そう言えばこの国経は役の設定では77歳、演じたときは大滝秀治83歳、やっと“実年齢より下”の役を演じることができたのであった。

・・・・・・『関ヶ原』で、彼が死を予告した秀吉を演じていたのが、劇団民藝の先輩にして創始者、宇野重吉であった。秀吉の天下は一代限りだったが、民藝を造った宇野重吉もまた、“劇団一代論”を主張して、そのポリシーは次代には伝えられない、創始者が死ねば劇団は解散すべき、との意見を述べた。しかし、大滝はその偉大な創始者の後を奈良岡朋子と共に、見事に引き継いで発展させている。宇野が秀吉型人間だとすると、大滝は家康型だった。大器晩成であるところも家康である。“人の一生は重き荷を背負いて遠き道を行くが如し。急ぐべからず”という家康の遺訓は、考えてみれば大滝秀治の一生にそのまま合致するような気がする。

R.I.P.。

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