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2012年9月30日投稿

東欧の香り 【訃報 ハーバート・ロム】

9月27日没。95歳。

ハーバート・ロムと言えばパイプ・オルガンである。1961年の『SF巨大生物の島』でネモ船長を演じた彼は、ノーチラス号の中でパイプオルガンを優雅に奏でる。さらに翌年、テレンス・フィッシャー監督の『オペラの怪人』で、やはりパイプオルガンを不気味に奏でる。そして1976年の『ピンク・パンサー3』で三度、パイプオルガンを狂気の笑いと共に演奏するのである。このような特殊な楽器を生涯で三回も映画の中で奏でた俳優は、たぶんロムの他にいないのではあるまいか。ロムの持っている雰囲気に、パイプオルガンはよほど似合うのだろう。

パイプオルガンはコンスタンチノーブル(イスタンブール)から東欧を経て西欧に伝わった楽器である。そのため、西ヨーロッパ諸国の人々にとってはかなりエキゾチックな音に聞こえるらしい。こじつけのようだが、その意味ではハーバート・ロムはまさにパイプオルガンを弾くために俳優になったような人物であった。彼の血筋はチェコで17世紀から続く名家とかで、本名がヘルベルト・カレル・アンゲロ・クチャチェビチェ・ツェ・シュルデルパチェルというやたら長いものであった。彼が芸名を“ロム”という短いものにしたのは、この長い名前が自分でもイヤだったからであるという(後にこれを本名にしている)。

1917年プラハ生まれ。演劇を志し、チェコの舞台と映画でデビューしたが、この世代の東欧の文化人によくあるように、ナチスのチェコスロバキア進攻に伴い、イギリスに亡命。ここでイギリス政府がなかなか彼の英国籍取得を認めず、彼はチェコ人のまま、イギリスで俳優生活に入る。最初に得た仕事はBBC放送のチェコ向けラジオ放送のアナウンサーだった。不安定な毎日の中、彼をはげまし、仕事を回してくれたのが8歳年下の俳優、ピーター・セラーズだった。彼とピーターは親友になり、やがて『ピンク・パンサー』シリーズで世界に知られるコンビになる。それはそれとして、最終的に彼は英国人としてロンドンで亡くなるのだが、イギリスにはこの国籍の件で最後まで不信感を持っていたようで、
「イギリス人の目には、外国人はみな不穏な存在に移るのさ」
と言っている。

ロムは1940〜50年代、食べるためにイギリスの映画、舞台に出まくった。中でも代表作と言われているのがアレクサンダー・マッケンドリック監督による『マダムと泥棒』(1955)。親友であるセラーズとの共演、また、尊敬する名優アレック・ギネスとの共演である。彼は次男の名をギネスからとってアレックとつけたほど、ギネスの演技に傾倒していた(ついでに言うと長女の名は、この翌年のハリウッド大作『戦争と平和』での当たり役、ナポレオンにちなむジョセフィーヌである)。・・・・・・それはともかく、この『マダムと泥棒』のハーヴェイ役は、彼の持ちキャラだった“不気味な目をした怪しい男”を最大限に活かしたキャスティングで、黒づくめの服装で登場シーンから印象に残る。目の演技は自分でもウリにしていたらしく、『ピンク・パンサー3』で見事な効果をあげていた。

ピンク・パンサーシリーズではセラーズ演じるクルーゾーの無神経ぶりにイラつくドレフュスの演技が売り物だったが、実際の撮影現場においては、病的に神経質なセラーズを、旧友としてロムがサポートしていた。逆に言えばドレフュスの神経症演技が真に迫っていたのは、モデルが目の前にいたから、と言えなくもない。セラーズは60年代半ばに心臓発作を起こして倒れて以来、脳に酸素が充分に回らなくなり、精神にやや異常を来していた(ちょっとでも気に触ることがあると、スタッフにナイフをつきつけたりしたという)。『3』では狂気に陥った怪人に変貌したドレフュスにクルーゾーが挑むが、あれはスクリーンの外ではまったくの逆だったわけだ。

・・・・・・ちなみに、『マダムと泥棒』のときにすでにかなり髪が後退していたが、数年後にはほとんど禿げ上がっていたようだ。60年代以降はカツラをつけているが、名前に縁のあるドレフュス事件(フランスで有名な冤罪事件)を描いたホセ・ファーラー監督・主演の『I Accuse!(私は弾劾する!)』(1958)では、カツラなしの地頭での演技が観られる。

『3』では体も弱っていたクルーゾー役はアクションシーンがほとんど代役(だからクルーゾーはやたら変装する)だが、彼より8つも年上のロムはすべったり転んだりのドタバタを自分で演じ、実質的な主人公はロムのドレフュスという印象だった。筒井康隆が日記で感心していた、2人の笑気ガスでの演技合戦も、ロムの方がずっと達者である。渡英して以来、喜劇からホラーまで(バン・ヘルシングに扮してクリストファー・リーのドラキュラと戦ってもいる)仕事を選ばず(亡命者の彼には仕事を選んでいる余裕がなかった)ありとあらゆる役を演じてきたそのキャリアを、ロムは自分の引き出しとしていたのである。

面倒をかける異常者ではあったが天才で、かつ親友のセラーズは、1980年、数度目の発作で死去。しかしその人気から『ピンク・パンサー』シリーズは継続して制作された。ロムも93年の『ピンク・パンサーの息子』までドレフュスを演じ続けるが、日本では未公開。ロム自身、セラーズの死去以降体調を崩し、他の映画出演が激減した。最後に私がスクリーンで彼を見たのは、1989年公開の映画『デスリバー』だったと思う。ロムの他にロバート・ヴォーン、ドナルド・プレザンス、LQ・ジョーンズなど、私好みのクセ者俳優が出演しており、期待して観たのだが、主役のマイケル・ダディコフに魅力が全くなく、作品自体ひどいB級(B級的な面白さよりもひどさの方が際立つ)で、観ていて椅子の背に沈み込んでしまうような気分になったものだった。・・・・・・この作品でロムは、アマゾンのジャングルの中に秘密研究所を建設して反撃を狙っているナチスの長官を演じている。彼の出自を考えると皮肉な役柄だが、根っからの演技人・ロムにとっては、そんなものを演じるのにも、何の抵抗もなかったに違いない。

セラーズが生粋の英国人ながら外国訛りの英語を十八番にしていたのに対し、ロムの英語は、非英語圏出身の人間ながら、深みのあるエレガントな発音に定評があった。幸い、DVDの時代になり、海外のメーカーのものを探せば、かなりレアな作品も手に入れることが出来るようになっている。まだ見ぬロムの演技を見、その優雅な(どんな悪役を演じようと出は争えない)セリフ回しを聞く楽しみがわれわれ映画ファンには残っている。そこに希望をつなぎながら、この名優に別れを告げたいと思う。

R.I.P.

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