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2011年7月29日投稿

さよなら巨星(ジュピター) 【訃報 小松左京】

7月26日死去、80歳。
これほど『巨星』という文字の似合う人はいなかった。
とはいえ、その文字の影に隠れて、見えにくかった部分も多々、ある。

小松左京という名前が『日本沈没』で日本中に知れ渡った頃。
NHKの演芸番組を見ていたら、桂米朝師匠の番組の解説に
小松氏が出てきて、米朝師匠との長いつきあいのことを語り、
「『日本沈没』ね、あれ、落語聞いてて思いついた話で」
と言い出した。米朝師匠が
「はて、そんな噺、あったかいな……」
と首をひねっていると、
「『釜どろ』いう落語があるでしょう、泥棒をつかまえようと
釜の中に入っていたら、釜ごと盗まれて野原に捨てられて、
顔を出して“しまった、家を盗まれた”……ちゅうやつ。
“国破れて山河あり”というのはあるが、“国破れて山河なし”に
なったらどうなるか、そう考えているうちに思いついたのが、あの
小説で……」
と語り、米朝師匠は
「なんや、冗談みたいな思いつきであないに儲けておいて……
落語協会になんぼか寄付しなはれや」
と冗談にまぎらしていた。

普通に考えてそんなわけもない、これは落語の番組に出るのだから、
という一種のリップサービスであるわけだが、小松左京という
人は、これが抜群にうまい人だった。『さよならジュピター』の
プロモーションで一時やたらいろんな番組に出演していたが、
グルメ番組に出れば宇宙食に話をからめ、街角情報番組に出れば
日向ぼっこに適した路地から太陽というものの大切さに話題をつなげ、
『さよならジュピター』に話を持っていく、その持っていき方が
自由自在という感じであった。コジツケがすぎるという見方もある
だろうが、そういう番組の大半の、SFに興味もないであろう
視聴者に、自作の映画の話を聞いてもらうための見事なテクニック
であることは確かであった(映画自体はそのテクニックを下手に
応用してしまった悪例でしかなかったのが残念だったが……)。

後にテレビの教養番組などのMCとして著名作家が起用されたものを見ると、
番組の進行の拙さに歯がゆくて仕方ない思いをすることが多かった。
小松氏がそういう番組に出たときと、どうしても比較してしまうのである。
タレントとしての才能、テレビでのトークの才能も、小松氏は並み居る
人気作家のうち、まず第一級であった。

小松氏は若いころ、アルバイトでいとし・こいしの時事漫才の台本
を日曜をのぞく毎日、週6本、書いていたという。日常のなにげない
出来事を時事テーマに結びつけてわかりやすく解説するという技術は、
その時に習得したものだったろう。
後に小松氏は大阪万博などのプロデューサーとして辣腕を発揮するが、
そのプレゼンターとしての能力はこういう経歴が磨いたものだった。

1970年代はじめくらいまで、日本人の平均的想像力というのは
結局のところ生活圏の半径1キロ以内を出ぬ、極めて箱庭的なもの
だった。私小説が小説の王道だったのも無理からぬところであったろう。
日常を超越した壮大な構想力を持った作家は、“異端”というワクで
語られるのが常だった。その作家の持つイメージの大きさと読者の
想像力の間に、深い断絶があったからである。その断絶が大きければ
大きいほど、異端作家としては格が上、というようなマニアックな
認識があった。

小松左京も、時代が時代であれば異端に分類されるような作品を
代表作にしている。しかし、小松氏を誰も異端とは呼ばない。
むしろ王道と認識されているだろう。小松氏には、自分の脳内にある
壮大なイメージを、読者の生活圏の中にあるところから説き起こし、
気がつかないうちにはるか高みへといざなってしまう、奇術師のような
語り口の技術があったからである。

短編だと、この技術がいっそうきわだつ。場末のバーのカウンターの
どうしようもない会話から、世界の核戦争による破滅まで一気に持って
行ってしまう『コップ一杯の戦争』や、どこにもある家庭の描写から
そのまま不条理とも言える人肉食の話になってしまう『秘密(タブ)』
など、小松左京のテクニックの見本、みたいな作品であった。逆に
『三界の首枷』などまさに落語そのもので、透視能力だのテレパスだの
といった、発表当時(1963年)最先端のSF用語を使ってこれほど
馬鹿馬鹿しい話に仕立てた作品を、私は他に知らない。

小松氏の作品、ことに長編が、日本におけるSF小説の歴史を一気に
推し進めた金字塔的な作品ばかりであるにも関わらず、現在の読者には
古い、と感じられてしまうことが多いのは、卑近な部分を交えながら
SF的な想像力の世界に読者をいざなう、その卑近な部分が、現代の
目から見れば冗長、と見られるためであろう。SF的手法が小説の
形として定着した現在においては、いきなりイメージを人類の起源に
置こうとはるか未来の終末に置こうと、読者はいかようにもついてくる。
確かに今の目からみれば、何まだるっこしいことをやっているんだ、
になるのかもしれない。

『果てしなき流れの果てに』の冒険小説的な部分は余計である、とか
『日本沈没』に男女恋愛みたいなパートはいらない、とかいう若い読者
の評を目にするたびに、草創期のSF作家たちがそういう部分をあえて
書いてまでSFを日本の小説界に根付かせようとしていた苦労を少しは
おもんぱかってやれよ、という気になる。いや、逆にそういう読者が
生まれるためにこそ、小松氏たちSF第一世代作家たちは頑張って
いたわけで、これは皮肉な話ではあるが、小松氏たちにとり、
そういう評価が出てくるということ自体、望んだところであったの
かもしれない。

しかし、何故か純粋SF作品が小説として成立する現在において、
小松作品を読み返したとき、その、導入部に過ぎない卑近な部分の
描写がたまらなくいとおしくなることがある。これは、小松氏がその
本質に、大坂の町人文化の粋である浮世草紙に通じる視線を持っていた
からだろう。そういう部分では私は小松氏は20世紀の井原西鶴で
あると思っている。未来への水先案内人、科学と文学の融合、壮大な
イメージの紡ぎ人、といった肩書きで紹介される小松左京であるが、
その底には、性と食と金に翻弄される人間たちの姿を肯定的に描く、
風俗作家としての立ち位置があった。21世紀になって再評価される
べきは、むしろ、この風俗作家的部分ではないか、と秘かに見ている
のである。

その意味で、小松氏の真の代表作は大坂釜ヶ崎の鉄くず回収屋“アパッチ族”
をモデルにした『日本アパッチ族』だと信じる。これはまさに、風俗小説
と奇想小説の、小松左京ならではの混淆によって生み出された傑作だった。
これを読んだことがある人なら、小松左京を単なる科学礼賛作家などと
は決して言えないはずである。

小松氏の死去は惜しみてもあまりあるが、“あちら”で岡本喜八監督と邂逅
したならば、ぜひとも、こちらでは幻の企画に終った岡本監督の映画
『日本アパッチ族』を完成させてもらいたい。

巨星、墜つと言えどもなおその残光は、永く我々を照らし続けるであろう。
ご冥福を祈る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa