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2011年7月28日投稿

“もろさ”も描いた男 【訃報 芦田豊雄】

『宇宙戦艦ヤマト』は私の人生を変えた作品であり、と、いうことは
その作画を担当していた芦田豊雄氏は私の人生を変えた人間のひとりである
わけだが、後に芦田氏はヤマト当時の絵柄を”もう描けなくなった”と
発言している。そのキャラの特長は、その後のアニメ『UFO戦士ダイアポロン』
にも顕著だが、鼻の先の丸い、親しみやすい顔つきであり、私は“ムーミン鼻”
と呼んでいた。実際、芦田氏は虫プロ時代に『ムーミン』に携わっていたのだが、
当時の私はそれを知らずにそう呼んでいた。

後にはSFアニメのキャラクターと言えば美形揃いになる(『ザブングル』等を
のぞく)が、ヤマトの場合、松本零士の主張もあったのだと思うが、最新鋭の
メカに、ごく普通の半人前の男の子たちが乗り組んで、悩み、苦しみながら敵と
戦う、というところが非常に新鮮であった。何の特殊能力があるわけでもない、
とりたてて衆人に抜きんでるところがあるわけでもない平凡な少年が、兄の
弔い合戦という形で参加した戦いの中で成長し、一人前になっていく。そんな
ビルドゥングスがドラマの中核になっていた(『ガンダム』はそれが露骨すぎて
嫌だったが、『ヤマト』はそれをごく自然にドラマの中に取り入れていたと
思う)。その、“ごく普通さ”を、あの頃の芦田キャラはうまく絵の中に表現
していた。最初、『ヤマト』のキャラデザインは岡迫亘弘が担当していたが、
放映前に病気で現場から離れたため、シリーズ前半は芦田豊雄が中心となって
作画をまとめることになったという。このアクシデントがなく、芦田以外の
人間がキャラを描いていたら、私はヤマトの第一話で、あんなに興奮して
いたかどうか。イフの世界だからわからないが、今にして思えばあやしい
ものだと感じている。後に芦田氏がその絵を変化させてしまったことを
考えると、運命というのは絶妙に人を配置するものだ、と思う。

たかだか20数分の放映時間の中に、なぜアニメはあれだけのドラマを持ち
こめるのか。それは、実際の俳優では表現し得ない、“線”の魅力があるからだ。
芦田の描いた浮遊大陸は、単なる背景ではなく、それ自体がキャラクターに
なっている。アニメの“線”の力のなせる技である。

実写ドラマは、例えば同等のレベルの役者たちが並ぶと、ストーリィを
説明しなければだれが主人公かわからない。だが、アニメでは、そこに
古代進がいるだけで、かれが主人公であることがわかる。線に、描写に、
動きに込められている力が他のキャラクターとあきらかに異るからである。

デスラーは逆に、初登場時から次第々々にその線に力が入ってきて、かれが単なる
悪役キャラから脱皮してカリスマになっていった状況が絵からだけでわかる。
作画の力というものは理屈を越えて、直接の感情としてこちらに迫ってくる
パワーを有するのである。

そして、この時期の芦田豊雄の“線”には、力強さの他に、女性の心をくすぐる
“もろさ”“弱さ”も持っていた。ヤマトがメカ主体のSFアニメにも関わらず
女性ファンをつかんだのは、その、母性をくすぐるもろさを、古代はじめ多く
のキャラが合わせ持っていたからでもあったろう。その、キャラクターの
ヴァルネラビリティ(弱さという力)が最大に発揮されたのは1979年の
『サイボーグ009』で、芦田豊雄描く009は、歴代009中最も憂いを
帯びたキャラクターであり、オープニングで涙を流す島村ジョーに女性ファンたちは
完全にノックダウンさせられたのであった(数年前に『少女コミック』誌に
連載されたりして、女性たちに009はなじんではいたものの)。

その後の芦田氏の、『ミンキーモモ』(この作品もまた主人公には“もろさ”
が付与されている)をはじめとする華やかなアニメ界での活躍、そして晩年、
アニメーターたちの待遇改善を望んで自ら火中の栗を拾うことになった
顛末などは、私よりくわしくその状況を知る友人たちがいるだろうし、
あえてここでは述べない。

ただ、私の人生が最もオタク寄りになっていた時代、その原動力となっていた
のが、芦田氏の“絵”であった、そのことだけは確かである。
同じような体験をした者が、オタク第一世代では数多くいることだろう。
ひとつの時代を形作っていた大きなピースが、いま、失われたわけだ。
7月23日、胃ガンにて死去。67歳。
まだまだの若さだが、しかし、これも今のアニメの繁栄を作るために
戦って来た者たちの戦死の年齢か。
ご冥福を、ただ、ひたすらに、祈る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa