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2011年6月27日投稿

コロンボ日本人説? 【訃報 ピーター・フォーク】

ピーター・フォークを初めてテレビで見たのは、フランク・シナトラ
の映画『七人の愚連隊(Robin and the Seven Hoods)』だったと思う。
封切が1964年、テレビで見たのは70年代のはじめくらいだった。
吹き替えは確か大塚周夫だったと記憶する。声質から言うと確かに
大塚さんは後に定番になる小池朝雄よりフォークの元声に近い。
原題でもわかるが、ロビン・フッドの話をギャング・エイジに移し替
えたストーリィで、フォークは悪役のガイ・ギズボーンを演じている。
コロンボ以前にもう、葉巻をトレードマークのように手放さないでいた。
http://www.youtube.com/watch?v=JRpsNchGxL4&feature=player_embedded

そのときに感じたのは、フォークという人のギャグの呼吸は、
日本人風だな、ということだった。体の持っているリズムというのか、
アメリカのコメディのギャグというのは日本人には大味すぎたり、
あるいはシャレが持って回りすぎてよく笑えないものが多い(フォーク
も出ていたスタンリー・クレイマーの『おかしなおかしなおかしな
世界』など典型例)のだが、フォークのそれは自然にこちらに
伝わってくるのだ。『七人の愚連隊』で、フォークのギズボーンが
ギャングの子分を集めてロボ(シナトラ)を倒す作戦を練る場面が
あるのだが、その中にひとり、「窓を開けてくれないかな」しか
言わない奴がいて、フォークがそのたびに律義に窓を開けてやれ、
と命ずる。何回目かの会議で、その男が何かいいかけるとフォーク、
うんざりしたような調子で「窓開けてやれ!」と先回りして
命ずるのだが、この“間”の詰め方が実にいい感じなのである(結局、
意外にもそのときはその男が名案を出す、というオチがつく)。

そう、フォークのギャグ、というより演技にはこの独特の“間”が
あった。これはフォーク自身の持っている演技のリズムなのだと思う。
映画の文法を身に付けるより先に、フォークがそのキャリアをニュー
ヨークの舞台でスタートさせたことにより体にしみ込んだもの
なのかもしれない。

だから演出家がその“間”を無視してしまうと、ピーター・フォークという
役者は単なる地味なコメディアンに堕してしまう。テレビに対抗して
テンポの軽快さを売りものにしようとした60年代中期〜後期の映画
にはそういうのが多かった。ブレイク・エドワーズの『グレート・
レース』も、フォークの演技力はあんまり発揮できていなかった。
70年代になって、『名探偵登場』など、フォークの持ち味自体を売り物
にする作品が多くなってきたところで、名優の名を欲しいままにしたのも、
彼の演技の基本が“間”のおかしみにあったからだと思う。

そして、その“間”の演技が徹底して発揮されたのが言うまでもなく、
『刑事コロンボ』である。質問を終えてじゃあ、と帰りかけるコロンボ。
犯人はその後ろ姿を見て、何とかごまかして逃げ切れた、とホッと
する。その瞬間の油断をついて、
「あ、そうそう、もうひとつだけ……」
と振り向くコロンボ。毎回、この振り向くタイミングの絶妙さに
うならされていたものだ。
葉巻がトレードマークなのも、あれは会話に自然な感じで間を作る
小道具として使っていたからではないか、と思う(タバコで演技を
ごまかすのは大根役者、というが、大根ですら演技をうまく見せられ
るのだから、フォークほどの芸達者が使えば凄い武器になる)。

『刑事コロンボ』がなぜあそこまで日本でウケたのか(本国アメリカ
についでヒットしたのが日本であったことは疑いない)、それは
フォークの演技に上述のような、日本人の“間”の感覚に相通じるものが
あったからだと思うが、さらに想像をたくましうすると、コロンボ
というキャラクター自体が、当時(1970年代)のアメリカ人に
よる、日本人のイメージに近かったのではないか、と思えてくる。

もちろん、コロンボはイタリア系という設定になっており、セリフ
にもそれを主張する言葉がよく出てくるが、しかしコロンボのキャラ
造形はどうみてもイタリア系ぽくはない。服は地味だし、音痴だ
そうだし、陽気なタイプじゃないし、動作も派手じゃない。いい意味
でも悪い意味でも開けっ広げなイタリア系の人に比べ、何を考えて
いるかわからない不気味さが身上だ。しかし、体躯の貧弱さなどを
バカにしていると、思いもかけぬ頭のよさにしてやられたりする
……これらはコロンボシリーズが最初に放映された1970年代
のアメリカ人の見た、日本人のイメージに重なるものがある。

70年代に入り、アメリカ人の眼前に日本人が出現する率はそれまで
より格段に高くなっていた。それまでの、敗戦国の二流国民という
イメージだった日本人が、経済戦争でのアメリカのライバル、そして
勝者として立ち現れてきたのである。1973年の映画『サブウェイ
・パニック』では、そのような、頭がいいくせにそれを押し隠し、最後
の最後でその隠れ蓑を脱ぐ日本人たちが登場していた。60年代末から
70年代中期にかけての人気シリーズ『猿の惑星』の猿(チンパンジー)
は日本人がモデルと言われている。同時期の人気ドラマであるコロンボに
おいて、“知性のあるイヤな奴”というキャラクターのコロンボの役作りに、
フォークが日本人のイメージを借用したのではないか、と考えても無理は
ないと思う。

すでに、1964年の第1作(シリーズ化以前の単発作品)『殺人処方箋』で、
犯人である精神分析医がコロンボのことを
「君は優れた知性を持つが,それを隠している。道化のようなふりを
している。その外見のせいだ。外見のせいで、押しもきかないし尊敬も
されない。だが、君はその弱点を逆に武器とする。君は不意打ちを
かける。みくびっていた連中は,そこで見事につまずく」
と分析している。これは当時のアメリカ人(WASP)が不気味なヤツ
ら、と思いつつ見ていた日本人観と一致する。

それは逆に日本人の目から見れば、大いなる優越感だったろう。
パリッとした、背広の似合う、背の高い二枚目のハリウッド・スター
が演じる犯人を、自分たちと同じ特長をもったさえない刑事が、
徹底的に追い詰め、そのプライドをずたずたにした上で勝利するので
ある。それでいながら、コロンボはちっとも洗練されず、ミーハー
なままである。イギリスロケを敢行した『ロンドンの傘』での、
記念写真をとりまくるコロンボの姿はそのまま、それまでバカに
されてきた自分たちの姿である。それを主人公が堂々と(?)
行うのである。日本でウケたのもむべなるかな。

50年代までのアメリカ人はハリウッド的価値観に支配されてきた。
アメリカ的なものこそが世界の基準だった。しかし、その自信は
60年代半ばに始まったベトナム戦争の泥沼化でもろくも崩れ、
日本や中東といった異文化の価値観の侵入を許すことになっていった。
その状況に対する潜在的恐怖感が、『猿の惑星』などのシリーズを
生み出した。実は『刑事コロンボ』も、同じ潜在意識下の強迫観念(何か嫌な
奴らが自分たちの平穏だった生活をおびやかしはじめている)が生み出した
ヒットシリーズではなかったかと思うのである。

そう言えば、シリーズの人気が絶好調の1976年ころ、コロンボが
日本にやってきて事件を解決するエピソードが製作される、という
うわさが『TVガイド』などの雑誌で記事になったことがあった。
プロデューサーのエヴァレット・チェンバースが来日し、日本ロケ
の打診を松竹と行った、という話もある。結局のところ、それは
すでにその頃、シリーズに対する最大の発言力の持ち主になっていた
ピーター・フォーク自身の
「最大級にバカげたアイデアだ」
という反対でポシャったらしい。もし、上記で述べた“コロンボ日本人説”
に信憑性があるとすれば、確かに日本ロケはコロンボの人気の秘密である、
“異文化によるアメリカ的価値観への挑戦”という隠し味を消してしまう
ことになる。フォークが激語を使ってその企画を潰したことも理解できる
ような気がするのである。

小池朝雄の、人情刑事風の吹き替え、翻訳の額田やえ子があえて取り入れ
た「かみさん」「ほとけさん」「よござんすか」といった日本風のセリフ
回しがあのキャラクターをより一層日本人に受入れられやすくしたのは
あきらかである。だが、それが可能であったのも、もともと、コロンボ
のキャラクターに日本的なところがあったせいではなかったか。
DVDを見返すたびにそう思う。

23日、ビバリーヒルズの自宅で死去、83歳。アルツハイマーを
患い、最後の時期にはコロンボという名前も忘れてしまったという。
病気であって仕方ないとは思うが、やはり悲しい。私の70年代は
土曜の夜のコロンボと共にあった。
いろいろと家庭の問題(前妻の娘〜養子でフォークとの血縁はない〜と
後妻の確執とか)があって、心痛も多かったろう。まさに、
平穏の中での休息(R.I.P.)を心から願う。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa