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2011年5月23日投稿

最後に出てきた男 【訃報 エドワード・ハードウィック】

フレッド・ジンネマンの映画『ジャッカルの日』(1973)。
この息の詰まるような傑作が、ジャッカルの死でそれまでの追跡劇に
全て終わりを告げ、観客がふう、と2時間半近く、肩に入っていた
力を抜いたあたりで、唐突に、観客の誰もが存在を忘れていた男が登場
する。ジャッカルの正体ではないか、と目されていた男、旅行中
だったチャールズ・カルスロップ氏である。

いや、忘れていたのではない、ジャッカルを追うルベル警視ら
フランス警察も、カルスロップという男の名を突き止めた
スコットランド・ヤードも、みな、居所のわからぬ彼を、
ジャッカルの正体と思い込んでいたのだ。

確かに、彼とジャッカルを同一視する確たる証拠はなかった。
ただ、以前独裁者が暗殺されたドミニカで同名のイギリス人が
行方をくらましているという情報と、チャールズ・カルスロップ
(Charles Calthrop)という名の、姓と名の最初の三文字、chaと
calをつなげるとその殺し屋のコードネーム・ジャッカルのフランス語
であるシャカル(Chacal)。ということだけが根拠だった。
だが、彼のマンションには主の姿はなく、そこにあったのは、
ドミニカへの、入国印はあっても出国印のないパスポートだけ。
これなら、ルベルでなくても彼がジャッカルであると信じるだろう。
事実、その線で調査をはじめた警察はジャッカルを追い詰め、
何度もすんでのところで逃げられて地団駄を踏んだものの、ついに
ジャッカルの魔手からドゴールを救い、殺し屋の息の根を止めた。

これで全てが終った、と思ったところに突如現われた、チャールズ・
カルスロップ“本人”。ジャッカルの名前の暗合も、ドミニカ出張も、
全くの偶然だったのだ。これで、世紀の殺し屋ジャッカルの正体は、
永遠の謎として無縁墓地に葬られてしまうことになったのであった。

……全編、綿密な取材と調査によって執筆され、それが現実にあった
かのようなリアリズムで統一されているこの原作小説の、このラスト
の一件だけは、最もありそうにない話であり、これを、この傑作が
唯一欠いた画竜への点睛である、と断ずる書評もあった。

しかし、これはこれまで発端から結末までずっと、息詰まるような
サスペンスの糸を張りつめさせていた作者・フォーサイスの、ストー
リィの最後の最後にもってきたジョークであり、このいかにもわざと
くさいミステリアスな趣向により、殺し屋ジャッカルは、実在の
殺し屋たちをモデルにしたリアルな登場人物から、ルパンやジゴマ、
ファントマの系列につながる、フランス伝統の怪人紳士の仲間入りを
したと見るべきだろう。ともあれ、このカルスロップ氏は、あの大作
の、最後に出てきて一人で卓袱台返しをしてしまった男なのである。

……この、チャールズ・カルスロップを演じたのがエドワード・
ハードウィックである。“bloody”を連発するいかにも英国人らしい
セリフで、出番はホンの数秒なのにもかかわらず、場面をさらっていた。
とはいえ、チョイ役はチョイ役でもちろんノンクレジット。いったい
あの役を演じたのは誰だかわからぬままに、再会ははるか年月が
経って1980年代後半、NHKで放映されたジェレミー・ブレット
のシャーロック・ホームズ・シリーズの二代目ワトソンとして、かなり
老けの入った顔になってからであった。そこではじめて、彼の名前を
覚え、また、彼が50年代から60年代にかけての名優、サー・セドリック・
ハードウィックの息子であることも知ったのである。
思えばかなり迂回しての再会だった。

サー・セドリック・ハードウィックはヒッチコック映画への出演
や『十戒』のエジプト王セティ役、さらにはジョージ・パルの
『宇宙戦争』(1953)のナレーターで知られるが、本業は舞台
役者である。ちょうど、映画がサイレントからトーキーに移行する
時期、ハリウッドはセリフの発声に長けた役者を求め、多くの舞台俳優
を映画界に招きいれたが、サー・セドリックもその一人であった。
彼はハリウッドに家を構えたが、アメリカの生活に染まろうとはせず、
完璧な英国式の庭園つきの屋敷を建て、お茶の習慣を欠かさず、
スポーツはクリケットと、本国の英国人より英国式の生活を送って
いたという。父につきアメリカに渡った少年エドワードは10歳で
映画デビューしている。

サーの位を持つ俳優を父に持つ身として、エドワードも演劇の道を
歩むようになったのは当然で、王立演劇学校で学んだが、ハリウッド
進出は考えず、地道に英国の舞台・テレビを中心に活動していた。
父が、あれだけ映画で稼いでいながら、上記の英国式生活へのこだわり
などで財産を使い果たし、英国に帰り長い闘病のあと亡くなったとき
には、葬式もろくに出せない経済状況だった(友人の役者たちが金を
出しあい俳優葬を行ってくれた)のが忌まわしい記憶として残って
いたのだろう。

そういう消極性がわざわいしてか、優れた血筋による演技力を
持ちながら、なかなか映画では芽が出なかった。彼の名前が一般に
記憶されるようになったのは、やはり1986年からの、グラナダ
テレビの『シャーロック・ホームズ』シリーズで、降板した
デヴィッド・バークの後を継いで二代目のワトソンを演じるように
なってからだろう。

バークのワトソンが活発で、どちらかというとホームズと言い合いも
しかねない元気ワトソンだったのに対し、ハードウィックのワトソン
は落ち着いて包容力に富むワトソンで、時折見せるシニカルな表情
がいかにもイギリス紳士らしかった(シニカルな表情だったのは、
サインを求めるファンたちにいつも“バークさん、サインをお願い
します!”とねだられたからかもしれないが)。

このワトソン像はほぼ、ハードウィック本人に重なる。自分が前に
出ることなく、ホームズを陰で支えるワトソンのコンビはバークの
それにも増して好評を博した。また、ハードウィックが参加した
シーズン以降のホームズ役・ジェレミー・ブレットは妻の死で精神・
肉体ともに不調であり、その中でシリーズの人気はますます高く
多忙を極め、撮影も困難になる状態が続いた。そんなブレット/
ホームズをハードウィック/ワトソンが支えるという構図はまことに
自然で、視聴者にも安心感を与えたことだろう。ちなみに、前記
『ジャッカルの日』でOASのリーダー、ロダン大佐を演じて
いたエリック・ポーターも、このシリーズにはモリアーティ教授役
で出演しているし、『バスカヴィル家の犬』には、ジャッカルを
強請って逆に殺されるパスポート偽造屋役のロナルド・ピカップ
が執事バリモア役で共演。ジャッカル組の再会を果たしている。

この役で名声を得て以降もハードウィックは出しゃばることなく、
生涯を“地味な”脇役役者で通した。地味であること、控えめで
あることが自分の特質とわきまえていたのだろう。とはいえ、
おそらくこのワトソン役からの連想でふられたキャスティングだろう
と思う『大人のための残酷童話/妖精写真』(1997)では、
妖精写真のインチキを専門家にあばかれたりするコナン・ドイルを、
ユーモラスに、かつちょっと尊大に演じており、演技の幅はやはり
父親ゆずりで大きい人だったんだな、と思わせた。

自分が自分が、と積極的に前に出るばかりが役者ではない。
彼のように脇に徹し、主役をサポートすることで輝く俳優もいる。
ジェレミー・ブレットの、ある意味天衣無縫なホームズの演技を
きちっと受け止めるハードウィックの存在が、シリーズを長期に
わたる人気ドラマとした。ハードウィックに対し、脚本の
ジェレミー・ポールは“優れたゴールキーパー”という言葉で絶賛
したという。

5月16日死去。78歳。これからもわれわれは、80年代、
90年代の映画を見返すたび、そのスクリーンの隅で、キラリと
光る演技で作品全体を引き締めているキーパー役のハードウィック
氏を発見することだろう。
R.I.P.

Copyright 2006 Shunichi Karasawa