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2011年3月29日投稿

花見をしよう、お祭りをしよう(30日付記)

先日、このHPにアップした『自粛不況を打破しよう』という
一文に対し、雑誌、ラジオなどからインタビューの申し込み
がありました。各マスコミとも、自粛ブームの行き過ぎに
深い憂慮を示しているようです。

その一方で、石原都知事は花見の自粛を言い出しています。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011032900919
そして、
「(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には
敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」
と、案の定戦争中の話を持ちだしました。

私は太平洋戦争の目的そのものを否定する思想の持ち主では
ありません。個々の戦闘における陸海の戦士たちの活躍もよく
知るところです。しかし、一方であの戦争の時の国民が、
軍部により、また神懸かった一部の人間たちによりいかに頭を
押さえつけられ、あらゆる娯楽を奪い取られ、その神経を痛めて
いったかも勉強しているつもりです。

私が今回の震災の報を聞いたあと、真っ先に手を伸ばしたのは
戦時中の人々の日記類でした。永井荷風、谷崎潤一郎、山田
風太郎、徳川夢声、古川ロッパといった人々が詳細な、戦中・
戦後の記録を残してくれています。その記録の中に、廃虚から
立ち上がるときの人々に何が必要か、何が障害となるかが
書かれていると信じたからです。

彼らは連帯感と使命感をもって自分を抑え、戦争による生活の
自粛に耐えていたのではありません。命と生活の危機のぎりぎりの
中で、神懸かりとなって国民に耐乏を強いる人々のヒステリック
な糾弾を避けるために、ひっそりと口を閉ざしていただけなのです。
「ぜいたくは敵だ」
という標語に秘かに一字を描き加え、
「ぜいたくは素敵だ」
としたのも日本国民でした。

荷風の日記には、敗戦の報を知ったその日、近所の農家の婆さん
が売りに来た鶏肉と葡萄酒で、知人夫妻とささやかな宴をはる
くだりがあります。徳川夢声の日記には、やはり敗戦の晩、
灯火管制が無くなった居間で、遅くまで宮田重雄ら友人たちと
バカばなしで笑い合う光景が描かれています。戦に国が負けた
ことよりも、自粛・耐久の抑圧が無くなった解放感の喜びの
方が大きいのです。映画『日本のいちばん長い日』には、
敗戦の日、徹底抗戦を叫んで、東京にビラを撒きアジテーション
する青年将校たちの姿が描かれています。しかし、誰一人、その
声に呼応する者はいませんでした。
長きにわたっての耐乏生活に、国民のエネルギーが全て失われて
しまっていたからです。

「戦には敗れたが」
と知事は言いました。その、国民が“美しく”連帯していた
日本を破ったアメリカ軍は、戦時中であっても娯楽を禁じたりは
していませんでした(もちろん、一部での規模縮小などは
ありましたが)ルーズベルト大統領自らが娯楽の必要性を訴え、
スポーツや映画産業はかえって振興しました。
『カサブランカ』も『我が谷は緑なりき』も『誰がために鐘は
鳴る』も、みんな戦争中に公開されてヒットした映画です。
戦争に勝てる指導者というのは、何が国民に必要なのか、を
しっかりと理解している指導者なのです。どんなに(指導者
にとって)美しい連帯感を国民が見せても、負けては何にも
なりません。

復興に必要なものは体の栄養と心の栄養。この二つのバランス
がとれないと人間は病みます。ライフラインの急速な復旧で体の
栄養は何とか必要なだけ摂れるようになってきました。しかし、
この自粛ムードの中で、落語会、音楽ライブ、演劇公演などの
娯楽が矢継ぎ早に中止に追い込まれています。これでは心の
栄養が摂れません。栄養の偏りは人間を、そして人間で構成
されている国家を蝕みます。

石原都知事はかねてから自分を愛国者として位置づけて
いらっしゃるようです。本当の愛国者なら、これからの復興に
徹底して頑張らなければいけない国民たちから、心の栄養を
奪うような真似をするべきではないと思います。

徳川夢声は、敗戦後すぐに、知人を自宅に呼び集め(その中に
は息子を原爆で亡くした薄田研二夫妻もいました)、不謹慎
と言われやしないかと多少びくびくしながら、八代目桂文楽を
招いて落語会を催しました。結果は大成功で、戦争に疲れた
人々、被害を被った人々の心が大きく和らいだ、と夢声は記して
います。

青林堂社長だった長井勝一は、戦後の焼け野原の東京で、
印刷所に焼け残っていたマンガを、ページもタイトルもバラバラ
のまま急遽製本して露天に並べたところ、アッという間に売り
切れたことに驚き、人々の娯楽を求める心のいかに強いことか
に改めて認識を強くしたと著書で述べています。

アメリカ軍空母ロナルド・レーガンからの援助物資の中に、
子供たちむけのオモチャがあったことをテレビで知って、
私は思わず膝を打ちました。さすがアメリカ軍です。わかって
いるのです、経験から。人はパンのみにて生きるものでない
ことを。

残念ながら、今の東京の、日本の指導者が石原氏のような、
耐久を強いる思想の持ち主である限り、今後日本は100年
たっても、アメリカに勝てる国にはなりえないでしょう。
娯楽の重要性を知っている国と知らない国の差です。

私は日本を愛します。被災者の皆さんの一刻も早い日常への
復帰を願います。だからこそ、今後もイベントをプロデュース
し続け、娯楽読みものを書き続け、花見を、お祭りを率先して
行おうと決意したことでありました。
都知事(今現在。次期もまた?)が何とおっしゃろうとも。

(付記)その後、会見で自粛要請の理由は“簡易トイレを被災地
に送り、夜桜をライトアップする電気を節電するため”という
説明があったということが報じられました、これは理解できます。
とはいえ、それを戦中の話に結びつけるのは無理がありすぎます。
また、それならば「トイレ設備がないことを考慮し、早めの時間
の観桜を」と言えばすむことです。自粛、戦争中を思えという
発言は、やはり被災地救済にマイナスの影響を与えるものとしか
思えません。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa