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2011年3月29日投稿

狂気を秘めていた男 【訃報 坂上二郎】

初めてわれわれの前に“出現”したときのコント55号は
心底から衝撃的だった。親類に芸人がいることもあり、お笑い好きな
子供であった私は、そのころすでにいっぱしのお笑い通(テレビでの、
だったが)であり、やすし・きよしが出てきたときなども
「達者な若手が出てきたなあ」
などと思っていたイヤなガキであったが、新人のギャグに
「なんだ、これは???」
と衝撃を感じたのは、コント55号が最初の体験であった。
忘れもしない名作『帽子屋』がその初体験であったが、観ている
こちらが必死で食い付いていかないとおいてきぼりにされるような、
そんな感覚を味わった。これが時代の尖端、というものなのだろう。
そう思った。

もっとも、彼らがコントのモデルにしたのではないか、と私が
秘かに思っているコンビがあって、それが坂上の師匠にあたる、
獅子てんや・瀬戸わんやだった。コンビ同士の掛け合いで成立している
のが常識の当時の漫才の中で、てんやわんやの漫才は基本がディス
コミュニケーションであり、てんやが徹底してわんやをいたぶり、
わんやがヒステリーを起こす、というのが流れであった。
彼らはそれをしゃべり中心にやっていたが、それをコント仕立てに
して、スラップスティックな動きを入れ、さらにいたぶる方の論理に
不条理性を加味した、というのがコント55号という存在だったと思う。

萩本欽一の狂気を坂上二郎の常識が(困惑しながら)受け、次第に坂上も
狂気(M系の)に陥ってきて終る、というのがコント55号の基本形なのだが、
欽ちゃんの狂気は計算されての狂気であることは、数回、コントを見れば
わかってくる。欽ちゃんから次々に発せられる無理難題を受けて、困惑し、
混乱しながら、それに従おうと勤める二郎さんの表情には、あきらかに
天然の狂気があった。その被虐的な狂気を引きだすことが出来れば55号の勝ち、
という感じだった。人気は若い欽ちゃんの方に集中したが、観客は二郎さんの
狂気に、実は笑っていたのだと思う。

そのM系狂気が攻撃的な狂気に転じると……『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』
(69〜70)のコントで、社長室に入ってきた二郎さんが、社長(宍戸錠)に向い、
神妙な表情で“社長……”と言うのがあった。
「社長……(突如、思い詰めた顔になり)結婚してください!」
仰天した宍戸が逃げ出すと、それを二郎さんが必死で追いかける。
「いいじゃないですか、社長! 逃げなくても。この思いを、社長!」
と、セットから飛び出て、スタジオじゅうを宍戸が逃げ回り、二郎さんが
追うというシチュエーションがえんえん続き、テレビの前で小学生だった
私は笑い死にするかと思ったが、子供心にも、これはマジで追いかけないと
成立しないギャグだな、ということはわかった。このナンセンスに集中し、
観ている方の意識を脇に逸らさないだけのマジさ加減が演じている方に
要求されるのだ。坂上二郎ってスゲエな、とつくづく思った。

『コント55号の裏番組をブッ飛ばせ!』(69〜70年)は、まさにその
二郎さんの狂気が全開になった番組だった。あの時代に、下着になることはおろか
その下着まで脱いでしまう人気女優がいたのも、二郎さんのかもしだす
狂気の渦にまきこまれてしまったからだろう。あれだけ一生懸命になって
ジャンケンをし、脱いでいるのである。自分も脱ぐことが当然、という
ような気分にならざるを得ない。番組後期になって、欽ちゃんも脱ぐよう
にはなったが、あきらかに観客のノリは落ちていた。どこかに正気の部分を
残さねばならないツッコミ芸人の限界だろう。

お互いピンで活躍するようになってから、久しぶりにコンビを復活させてやった
コントの中で、ラーメン屋のコントがあった。ラーメン屋が欽ちゃん、
お客が二郎さん。欽ちゃんがラーメンを持ってきたとき、二郎さんが、
その頃欽ちゃんがやっていた徳島製粉の金ちゃんヌードルのCMの文句を
使って、
「値段は据置きかい?」
とアドリブで突っ込み、欽ちゃんが思わず吹き出すと、繰り返し繰り返し
「値段は据置きかい?」
とやって、コントがメチャクチャになってしまったことがあった。
アドリブ好きの人間が暴走すると、こうなる(笑)。

もっとも、時が経つにつれ、欽ちゃんも二郎さんも、その狂気は
次第に封印していくようになる。所詮、テレビの世界に狂気は安住
できない。欽ちゃんは素人いじりにそのいじり芸の神髄を見せる
ようになり、二郎さんは手堅くドラマやバラエティの脇を固めるように
なっていく。『テレビはこれだ!ドラマが3つも』(71)では堺正章の
カンチョーマンのライバル、怪盗リュックサック。『江戸川乱歩の
美女シリーズ』では北大路欣也の明智に対する波越警部。手堅くやって
はいたものの、ときおり、以前の片鱗がキラリと見えることがあり、
そういうときには本当にゾクゾクしたものだ。

時代に乗ったコンビはいくつもある。
しかし、時代を変えたコンビというものは滅多にない。
われわれは、天才たちが時代を変える、その瞬間に立ちあえた。
僥倖というべきだろう。

これほど“ご苦労様”という言葉を投げかけるのがふさわしい人物も
いない、というイメージである。ゆっくりおやすみください。
黙祷。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa