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2010年12月17日投稿

割烹着の裏の色気 【訃報 池内淳子】

9月26日、肺腺癌で死去、76歳。

池内淳子はかわいかった。
と、書くと“母さん女優”の代表である人に何を、と
言われるかもしれないが、私が名画座めぐりをしていた
時代、オールナイトで観る新東宝映画での池内淳子は
可憐という形容が似合う、何とも可愛らしい女優さんだった。
『鋼鉄の巨人 スーパージャイアンツ』の孤児院のシスター
役など、可愛くてゾクゾクしたものである。
悪人の田宮伊右衛門に惚れてしまう四谷家のお嬢様・お梅を
演じた『東海道四谷怪談』(中川信夫・59)も、出てきて
ほとんど台詞をしゃべらぬままにお岩の呪いで伊右衛門に
斬り殺されてしまうのだが、立っているだけで可愛らしかった。
当時26歳。

上記四谷怪談は新東宝だが、その倒産後東宝に移籍し、
またも『四谷怪談』(豊田四郎・65)に出演している。
もうこの時は30代になっていて、役は佐藤与茂七(平幹二朗)
の妻、おそで。与茂七が死んだと思い込み(実は別人)、
その下手人である直助権兵衛(中村勘三郎)の言葉に騙され、
仇を討ってやると言われて、その代償に直助に身をまかせる。
そこに実は生きていた夫の与茂七が現われ、与茂七への貞操で
わざと彼の刀にかかって死ぬおそで。直助権兵衛も討たれるが、
この映画での彼は
「へ、おそでさんとも契れたし、俺は幸せだ」
と笑って死んでいく。確かに、池内淳子と寝られたのなら
本望だろう、と思えたものだ。

この二本の四谷怪談の間の1960年に、池内は怪作『花嫁吸血魔』
(並木鏡太郎)に出演、毛むくじゃらの吸血怪物に扮して、
あの大伴昌司をして“ショック!”と言わしめている。デビューの
翌年の57年に勝手に結婚、引退してしまい(相手は喜劇役者で
ジャズミュージシャンの柳沢慎一)、しかもたった三ヶ月でスピード
離婚してまた新東宝に戻ってきた彼女に対する大蔵貢のみせしめの
ためだったと言われており(異説あり)、ワンマン経営者だった
大蔵貢が悪役的にされているが、大蔵にしてみれば、契約女優の
このわがままを放っておけば他の俳優たちへのけじめがつかない、
という気分だったろう。しかも、池内は後にこの『花嫁吸血魔』
を自分のキャリアから消そうとし、残っていたフィルムを買い占め
て焼却させたという。『吸血鬼ノスフェラトウ』『やぶにらみの暴君』
とならぶ、文化財棄却の憂き目にあいかけた映画ということになる。
(幸い、残っていたフィルムを元に復刻され、DVDが出て
いる。池内はどう思っていたのか)。

その後、新東宝は倒産。東宝に移籍して上記『四谷怪談』や
クレージー映画、駅前シリーズなどで活躍するが、しかし彼女を
大スターの位置につけたのはテレビの世界だった。当時“よろめき
ドラマ”と呼ばれた昼ドラの世界で、彼女は女王となり、また
“ほんだし”のCMの割烹着姿で、日本のお母さんのイメージの
代表格となった。

しかし、彼女は最初の結婚によほど懲りたのかそれ以来一生独身
を通した(長門裕之が暴露本で彼女を愛人と名指しで言って
物議をかもしたこともあった)。同じく割烹着の似合うお母さん
女優だった森光子も山岡久乃も結婚に失敗して独身を通しており、
母さん役のうまい女優は実際は家庭的には幸薄い女性である、という
ジンクスを芸能界に作り上げた。実際、彼女は女らしいというよりは
むしろ男性的な気っぷの持ち主だったという。

私も年齢的には割烹着を着たCM、それから『ただいま11人』
『つくし誰の子』などといったテレビドラマの主人公として
池内淳子を知ったクチだが、驚いたのは1973年の大河ドラマ
『国盗り物語』。この物語の前半、若き日の斎藤道三(かつて
『四谷怪談』で夫婦を演じた平幹二朗)のパトロンとなり、
道三の愛人となる油問屋・奈良屋の後家主人、お万阿を演じた。
このとき池内40歳。やり手の商人でぜいたく趣味の金持ち女
でありながら道三の野生の魅力に魅かれていく、という役で、
道三の入っている岩風呂に意を決して入っていくあたりの
思い詰めた表情が絶品であり、熟女の色気をふんぷんと感じさせた
ものである(見ていた私はこのころ15歳、性だの愛だのに
敏感な年ごろであり、それには40歳の色気は濃すぎたようで
ある)。お母さん役で名をなしながら、こういう役も自在に
こなすあたり、やはり新東宝時代に体験した苦労は無駄ではなかった
と思いたい。

役者としての最後の代表作は唐沢寿明版の『白い巨塔』における
財前五郎の母親役だろう。76歳という享年は今日びの常識では
早いだろうが、根っからの女優である彼女にとり、ほぼ現役のまま
で迎える死は本望だったかもしれない。
たぶん、あの世でも女としての幸せよりは女優業を選ぶ人で
あると思う。

ご冥福をお祈りする。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa