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2010年10月22日投稿

仕切っていた男 【訃報 山本小鉄】

喉の異常で呼吸困難を訴え、それが原因の心肺停止による
低酸素脳症で8月28日、死去。68歳。

80年代半ばのプロレス黄金時代。どちらかというと私は馬場の
ひきいる全日本プロレス派だったのだが、実況解説のみは新日本の
古舘伊知郎と山本小鉄のコンビにはかなわないな、と思っていた。
いや、実況自体はまったり系の倉持隆夫と山田隆の全日コンビも
好きだった(田鶴浜弘の解説はいくらなんでもロートルすぎると
思っていたが)のだが、古舘・小鉄のコンビは単なる実況解説
ではなく、プロレス中継自体を仕切り、この試合を今、見ている
自分たちがどれだけ重要な“場”にいるのか、ということを
認識させてくれた。われわれは彼らの口調に乗って、壮大な
イリュージョンの中に没入させられていた。まさにそれは
プロレス黄金時代の幻影だった。

殊に解説の山本小鉄は審判部長も兼ねていて、実際にときおり
試合が(レフェリーが選手の技を受けたり巻き込まれたりして
ダウンしたりして)こんがらがった場合、自ら放送席を
「ちょっと待ってください」
と言うお決まりの台詞で離れて、リングの上に上がり、時にマイクを
持って裁定を下していた。社長の猪木を除けば新日本プロレスで
一番“権力を持った人”というイメージで客は受け止めた。
いや、猪木・ホーガン戦ではその社長の猪木がアックスボンバーを
くらって失神してしまったのだから(と、いうことになって
いたのだから)、猪木の救命措置やら、病院への移送命令や、
ホーガン非難一色で興奮の極地にあった観客への説明など、
一切を仕切る小鉄氏はまさにそのイベントにおける“司祭”の
役割であった。

プロレスはスポーツというよりは演劇に近い。演劇とサーカスの
中間といったところか。そこに必要なのは、観客が、
「いま、自分の見ている試合がどういう意味のある試合なのか」
ということを理解するための“フレーム作り”であって、
さまざまなタイトルをかけたり、前試合の遺恨・因縁があったり、
凶悪なヒールレスラーの前に初々しい若手がいけにえとして捧げ
られたりというような“見どころ”が仕立てられる。

そういうワク(フレーム)があって初めて、観客は試合の面白さ
を理解できる。例えば日本にプロレスを定着させた力道山が
好んで使ったフレームは、卑怯な外人チームにいかに日本人選手が
フェアプレイで耐えるかという興味で観客をひきつけるもの
であり、これは力道山時代の日本人誰もが脳裏にありありと記憶
している太平洋戦争の再現、ただしラストで日本人が勝利するという
改変のある再現であった。

しかし時代も力道山の頃から下って、観客もかなりの見巧者に
なってくると、ちょっとやそっとのフレーム作りでは、そういう
“仕掛け(アングル)”に乗ってこなくなる。
そうした場合、そのフレームを、見せる側が一旦壊し、そして
再構築してみせる、という作業が必要になってくる。

例えば、古くは“招聘もしていないのにいきなり試合に乱入し、
あまつさえプライベートの猪木夫妻を襲撃して負傷させた
タイガー・ジェット・シン”であり、その復讐に、“リングの上で
シンの腕を折る”という暴挙に出た猪木の怒り、であった。
さらには猪木に次ぐ二番手のエース・藤波に突如叛乱した長州力、
さらにはその長州に、自分の親分(ラッシャー木村)を見切って
参謀として協力したアニマル浜口もそうだった。

先に言った、満場のファンの前で惨めな失神姿をさらす猪木、
というのも、見事なフレーム崩しであった。こういうものをリアル
で見せつけられると、人、ことに若い人は
「いま、自分が大きなドラマの回転の中にいる」
という情動に包まれ、その場にいることに感動し、完全に猪木、
そして新日の作り出すドラマの中でしか生きられなくなる。

全日ファンから見ると、猪木信者の若者たちがどこか、新興宗教
の信者のような目をしているように思えて仕方なかったが、
それは上記のような新日本プロレスの、フレームの破壊と再構築
という“プロレスという興業形態そのものをアングルにする”という
戦略が、ある種白刃の上を歩くような危険度の高い綱渡りであり、
“オトナの社会的常識”がそこに加わったら成立しなくなる、
フィクショナル性の高いものであったためである。だから信者には
世の中の常識に目隠しをさせねばならなかった。そのためにも、
矢継ぎ早に次のアングルを仕掛けていかねばならなかったのだ。

その仕掛人が猪木本人だったのか、影の参謀の新間寿であったのか、
それとも山本小鉄であったのか、証言が人それぞれに食い違ったり
していて、真相は闇の中である。小鉄氏への評価も、語る人でかなり
の幅があって、どれが本当のことか査定するのは非常に難しい。

だが、いかに信者の目で見てもどこかに山っ気を感じさせる
猪木という人物への信頼を、つなぎ止めていたのが、武骨一辺倒
という風貌や言動の山本小鉄という人物の存在であったことは
確かだろう。煽り立て方の古舘と、冷静に技を分析する小鉄氏の
コンビにより、われわれは80年代の一時期、四角いリングの
上に華麗に展開するイリュージョンの世界に酔わせてもらった。
お礼を申し上げたい。

そして、新日が得意としていたフレーム崩しは、自らが若い頃、
26センチの身長差があるゴリラ・モンスーン相手に試合をして
金星をあげたときの、本人と会場が一体になっての興奮(当時は
前座レスラーが外人のエースを倒すなどということはあっては
ならないことだった)が発想の元となっているのでは、と
秘かに思っているのだが。

黙祷。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa