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2010年1月6日投稿

訃報・NC赤英

あぁルナティックシアターの所属俳優で
カウンタックーズメインメンバー、
NC赤英こと赤堀清秀が、ガンで4日、他界しました。
42歳でした。

昨年9月の舞台『陰陽師・安屋敬一郎のXファイル』の稽古中、
体調不良を訴えて病院に行ったとき、すでにすい臓を冒されて
おり、やがて肝臓にも転移。余命3ヶ月を宣告されましたが、
抗がん剤治療などを一切拒否。
自ら信じるカラー・パンクチャー療法を用いて自主治療を行って
いました。

最後にきちんと話したのは10月の公演に顔を出してくれたとき。
「先生、11月の先生の芝居には出られなくてすいません。
次の時は必ず出ますからね! いい役アテてくださいよ!」
と元気よく言っていたのが別れの言葉になりました。

およそ四年のつきあいでした。
私がルナに初参加した2006年の舞台『コムテツ』の時、
池袋芸術劇場小ホールの楽屋で、バカばなしをしている
他のメンバーとは一線を画して、毎回、大学ノートに難しい顔を
してギャグを書き込んでいたのが彼でした。
徹底した理論派で、ちょっと近寄りがたい雰囲気を
感じたものです。

それが変化を見せたのはいつごろからか。07年、ラゾーナ川崎
での『アストロ劇団2』公演の打ち上げの居酒屋で、眠って
しまった私がふと目を覚すと、枕元で
「いいか、ここで人類のステージが上がるんだ。その準備を
しなくちゃいけないんだぞ、お前は」
と、マジで語る声が聞こえてきて、ナニゴトかと思って飛び
起きたら、NCが新人の松下あゆみに真顔で説教をしているの
でした。

続く08年の『御利益』でよりその傾倒は決定的になりました。
この時、楽屋が狭かったので彼はずっと通路でうずくまって本を
読んでいたのですがそれがアセンションの本で、何と舞台上の
セリフの中で
「2012年にはね、次元が上昇して、地球上に愛が降り注ぐん
だって」
と堂々と宣言するまでハマってしまってました。
生真面目な男ほどこうなるのかもしれません。

聞けばプライベートでいろいろつらいことがあったようでしたが、
少なくとも完全なビリーバーになって以来、妙に人間性が変わり、
明るくなったのは確かでした。こういう人の方が、突然の病気と
余命宣告というようなつらい事態には平静に対処できるの
ではないか、というようにも思います。少なくとも、余命3ヶ月
を宣告されてからの彼の態度は立派すぎるほど立派だったし、
カッコいいものではありました。

舞台の上での彼は個性あふれる役者でした。個性を突き抜けて
怪優の域に達していたかも知れません。彼の繰り出すギャグは
毎回、あまりに高踏・シュールに過ぎて、一般人には理解不能の
場合が多かったものでした。でなければ、一回りしてあまりに
ベタであり、時に客がシンと静まり返って海底状態、ということ
もよくありました。
凄いのはそれでもなお、自分のギャグの方向性を改めようと
しなかったことです。“これが正しい”という徹底した理論に
基づく自信がその底にあったようでした。

昨年5月のルナティック演芸祭で、彼は、自分の持ちネタの
“ステキさん”というのを舞台にかけました。
ステキさんというのは、彼のまるで自己投影のような、
どこまでもピュアな、ちょっと困った人というキャラです。
はっきり言えば×痴キャラですが。
これが、この時、見事にウケませんでした。ウケなかった
どころか、客が内容をひとつも理解できませんでした。
10分ほどのコントで、笑いがカンペキに全くひとつも
来なかったのです。私などはむしろその状況自体にお腹を
キュウキュウ言わせていたのですが、楽屋に引込んだあとの
彼は、“やり遂げた”というような、清々しい顔をしていた
ものです。自分の中では大満足な出来だったそうでした。
彼の場合、あくまで基準は自己の中にあり、客の笑いをとる
などというのは二の次だったのかもしれません。
その演芸祭の後で、本職のお笑いの人と飲んだとき、その
お笑いの人はしみじみと
「赤英さんはエラいですよ。われわれだったら、あれだけ
受けないともう堪えられずに途中でネタ変えてしまいますもん」
とつぶやいていました。

こういう人には、逆に芝居を見まくっているような、もう普通の
芝居は見飽きたというような人がハマります。演劇通みたいな
お客さんが、アンケートにNCのことばかりを書き連ねている、
というようなことがよくありました。あと、文化人系統の人にも
受けがいい人でした。赤英の定番の(受けない)ギャグ、
「お、もうこんな時間だ。まあ、時計してないけどね」
は、昨年6月の『黄金夢幻城殺人事件』では、作者の芦辺拓さん
のリクエストでわざわざ入れたものでした。

芝居に対する態度は厳しく、稽古場ではよく、若手を怒鳴りつけて
立ち往生させたり、涙ぐませたりした怖い先輩でした。もっとも、
それが陰湿ないじめでは決してなかったし、また、若手に言った
言葉がそっくり自分に跳ね返ってきたりして、ユーモラスでも
ありました。あと、稽古が佳境に入ったあたりで、必ず
「この芝居さ、おかしくない?」
と、根本の部分での設定や人間関係の矛盾をつついてくるのが
彼でした。それでたいてい、貴重な稽古時間のかなりの部分が
費やされました。最初は、いまさら何を言い出すんだ、この男、
と思っていたのですが、何回もそれが繰り返されるうち、あ、
これは、稽古を積み上げていくうちに芝居に入り込みすぎて
しまっている我々の目をもう一度客観的な位置に戻す役割を
果たしているんだ、とわかって、膝を叩いたことがあります。
まさにNC赤英という奇人によって、われわれは常識の範疇に
引き戻されていたのですね。

6月末に楽屋で、若手相手に彼がぼやいていたことがありました。
「……人生はオレを愛してはくれていないよ」
私は何の気なしに
「あのなあ、自分から人生を愛さないと、人生も君を愛してはくれないよ」
と返しました。彼は一瞬、無表情になってましが、後から
聞いたら、
「天啓を受けた。あの言葉で自分は目からウロコが落ちた。
人生観が変わった!」
ということだったそうです。残念ながら、その後の彼の人生は
半年間しかなかったわけですが、どのような目で自分の人生を
見ていたのでしょう。気になって仕方ありません。

亡くなった、と報告を受けたとき、彼の笑顔ばかりが浮かびました。
死んだというのに、思い浮かぶのは笑っている彼の顔ばかり。
聞いたら、死に顔は満面の笑みを浮かべたような表情だった
そうです。彼はそれを伝えてくれたのでしょうか。

私の見るところ、彼のベストアクトは一昨年のホラリオンに
おける『新・地獄の楽園』での博士役。娘役の松下あゆみという、
格好のギャグの受け手を得て、彼のハズしギャグが一旦彼女を
経て観客に伝わるという段階を設けたために、シュールさが
適度に薄まって、出演シーンは毎回大爆笑でした。
そう、彼のギャグに必要なのは、それを一般観客に翻訳して
伝えてくれる、トランスレーターだったかもしれません。
このコンビでもっと赤英の舞台を観たかった気がすます。

まだ冥福を祈る気分ではありません。
次の芝居で彼にアテた役を書くことが出来ない、
それが無念なばかりです。
モンティ・パイソンのグレアム・チャップマンみたいに、
遺灰で登場させたいくらいなんですけどねえ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa